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令和の現在にファミコン版「ハイドライドスペシャル」を初プレイして物申す!

 私は、現在、趣味の1つとして、ネットにあるファミコン関係攻略サイトを保存したり、攻略本を買い漁ったりしている。そんな中、先日、ファミコン版の「ハイドライドスペシャル」(以下「ハイドライド」。)の攻略本を手に入れた。このゲームは、パソコン版も含め、当時から未プレイのまま現在に至っているのだが、攻略本を読む限りではめちゃくちゃ面白そうではないか?

 攻略本から受けたイメージは、「ゼルダの伝説」(ファミコン版。以下、特に断りがないゲームは、基本的にファミコン版。)とか「ワルキューレの冒険」とか「ドルアーガの塔」(以下、これらを総称して「ゼルダなど」。)とかのそれぞれの要素が感じられるというか、典型的なアクションRPG(以下「ARPG」。)のようなのだ。実際、原作のパソコン版でもかなりヒットしていたらしい。ということで、さっそくファミコン版をプレイしてみた。

 ――開始30秒でやられて、早速レトロゲームの洗礼を浴びたところなのだが(笑)、当時、少なくともファミコン界隈においては、このゲームが他のヒット作に埋もれ、なんとなく目立っていなかった理由が、なんとなく分かった気がした。そのことについて、ここに残しておくものである。

 

○音楽についての不満

 まだ、満足にプレイしていない中、意見を申し上げるのは心苦しいのだが、まず、音楽が世界観とマッチしていないように感じた。前出のゼルダなどにおいては、そのメインテーマとして共通する「勇ましさ」が感じられる。いずれも、今でも口ずさむことができるし、心に残るメロディーラインだ。

 しかし、「ハイドライド」のメインテーマは、そんな勇ましさが感じられない。「心に残るメロディーである」ということには間違いないのだが、どちらかというと――昭和時代のデパート屋上にあったような、幼児用の遊具で流れる音楽のような感じとでも言えようか……ファミコンでいえば、例えば「スカイキッド」のメインテーマをゆっくりした感じというか――いずれにしても、どちらかというと「ほのぼの」とした音楽に感じられるのだ。

 この「ハイドライド」のメインテーマを、別の場面に当てるとすれば……例えば、街の音楽や、プロローグの音楽などが適しているのかもしれない。プロローグというか、タイトル画面でもいいんじゃないか? と思ったが、実は、タイトル画面の音楽も、このメインテーマだった(笑)。その他の場面で使うとすれば、もしかしたら、この時代なら、エンディングの音楽でもいけるかもしれない。そんな雰囲気の音楽だと、私は感じた。

 ちなみに、「勇ましさ」といえば、初代ドラクエのフィールドの音楽《広野を行く》についての有名なエピソードだが、当時、ドラクエの制作に関わっていた中村光一氏は、この曲に勇ましさが感じられなかったことに、最初は違和感をもった、と言われている。ドラクエの場合は、全体的に見れば、まだ、戦闘シーンの音楽で勇ましさを取り戻しているとは思うが、ARPG においては、戦闘のたびに音楽が変わるのも落ち着かないだろうか(まあ、「ドラゴンバスター」のように、戦闘を独立させれることで、有効な効果をもたらす例もあるとは思うが。)。

 余談ついでに、ドラクエ2の仲間が3人そろったときのフィールドの音楽《果てしなき世界》や、ドラクエ3のフィールドの音楽《冒険の旅》は、ともに勇ましく、前出の中村氏も、初代ドラクエにおいてもこのような雰囲気の音楽を求めていたのかもしれないし、だからこそ、続編の2や3において、その想いが反映されたのかもしれない――と個人的には思ったりもしている。

 さらに本題からそれるが、メインテーマの勇ましさといえば、ドラクエはもちろん、前出のゼルダなども素晴らしいのだが、その他、同時代の ARPG においては、ゲームボーイの「聖剣伝説」も忘れてはならない。これは、ゲームボーイ音源のステレオサウンドの効果もあいまって、妙に重厚感もあり、このサントラは今でも聴いてしまう程に中毒性がある。

 さて、「ハイドライド」の音楽について、もう少し言わせてもらうと、「音色」にも、もう少し工夫がほしいと感じる。というのは、音色に、抑揚やビブラートなどの加工が感じられず、たとえれば、「頭脳戦艦ガル」のような鋭くストレートな機械音が突き刺さる感じというか……いずれにしても、やはり、ゲーム音楽には、音色の要素も大事だと思う。

 音といえば、効果音もそうだ。敵にふれると、ピチョピチョといった効果音はなるが、気がつけば主人公がやられて死んでいる。どうやっても、最初のスライムが倒せないのだ……。

 

○最初のスライムすら倒せなかったワケ

 そのあと、攻略本をよく読んで初めて分かったのだが、実は、Aボタンで攻撃ということになっていた。

「いや、そんなこと、どうして気がつかなかったのか?」
 という声が飛んできそうだが、それに気がつかなかったのは――言い訳ではないが――Aボタンを押しても「何も」変化が起きなかったからなのだ。具体的には、主人公のグラフィックにも変化がなければ、剣を抜くような音もしない。

 いや、この時代のゲームでは、こういうのも珍しくはない。前出の初代ドラクエだって、今や「カニ歩き」で有名だが、当時は――少なくとも自分の周りでは――そんなことを言う子どもたちはいなかった。当然に、同作2や3をプレイしたあとならそういう発言もあったが、それでも、どちらかというと、「はなす」コマンドの際に、「東西南北」を選択するのが面倒だ――といったような、見た目よりも操作上の不満の方が大きかったと思う。

 要は、画面に表示されたキャラクターというのは、極端にデフォルメされた「記号」でしかないのだ。あとは、各プレイヤーが想像して補うものなのである。令和の今だからこそ、このような説明も必要となるだろうが、当時は、それが「当たり前」であり、「そういうもの」だったのだ。

 ただ、そうではあっても、この時代であったとしても、RPG ではなく ARPG であるのなら、剣の抜き差し動作くらいはあってほしかったし、実際に、前出のゼルダなどは、剣の抜き差し動作とその効果音がある。

 その後、一応、スライムは倒せるようになったが(感動!)、敵の攻撃を受けたときのピチョピチョ音と、こちら側の攻撃のピチョピチョ音が非常によく似ていて、グラフィック的にも、敵を飛ばしたり主人公が飛ばされたりもない。つまりは、「見た目」によっても「音」によっても、その感触がプレイヤーに伝わらず、やはり、前出のゼルダなどと比較しても、この辺は劣っていると言わざるをえないだろう。まあ、単純に、爽快感が感じられない。

 とはいえ、この辺は、ゲーム性に関わる部分というか、要は、ハイドライドの戦闘というのは、別のゲームでいえば、例えば「ボコスカウォーズ」や、ゲームボーイの「カエルのために鐘が鳴る」などのように、アクション性が薄い(または、ない)のかもしれない。いわゆる、アクションゲームが苦手な方にも楽しめるように配慮されているのかもしれない。

 

○その他、気になったこと

 その他気になったのは、画面のスクロールについて、ドラクエのような完全フリーのスクロールではなく、基本、1画面固定の切替式なのは――まあ、前出のゼルダの伝説もそうなので、そんなに気になるものでもないのだが――その、1つの画面がスクロールする際、スクロールがガタガタなのである。また、せっかく固定画面なので、システム的な負荷も少ないと思われるところ、主人公の動きもガタガタなのだ。こういう部分が、どぎつい色づかいも含めて、良くも悪くも古き良き時代の昔のパソコンゲームそのままという印象が否めない(いや、それはそれで味があるのだが、少なくともファミコンっぽくは感じられない。)。

 作者は、「ドルアーガの塔に影響を受けた」というようなことを言っていたと、何かで見た気がするのだが、確かに、ハイドライドにも、スライムや各種ナイト、ローパーやウィスプなどが出てくる。また、アイテムにも「パーマネントランプがないと洞窟が見えない」など、確かに、ドルアーガの塔を意識したゲームデザインになっていると思う。

 でも、逆に、そんなドルアーガの塔が発売された頃であれば、もう少しファミコンの性能に熟知したところが制作に携われば、この辺の操作性なども、もっとユーザーフレンドリーに仕上がったんじゃなかろうかと思う。

 まあ、私も、説明書もろくに読まずに、開始たった30秒で不満を述べるのもあんまりだとは思ってるが……当時、このゲームが、パソコンで「はやった」としても、少なくとも当時の私の近辺では、他のゲームに埋もれてしまい、そこまではやらなかった理由が、なんとなく分かった気がしている。

 ゲームデザイン的には、結構な良作だと思うのだが……どこかの誰かが、操作性や音楽などを、ファミコン中後期くらいの仕上がりで、リメイクしてくれないだろうか?

 なお、非常にわがままだが……個人的には、「ザナドゥ」が「ファザナドゥ」になったくらいの激しいリメイクは求めておらず、スーファミ時代の仕上がりも求めていない。あくまで、ファミコンっぽさ優先で……例えば、「愛戦士ニコル」くらいのアクション性があっても、さらに面白いかもしれない。

 いずれにしても、また一つ、 死ぬまでにクリアしたいゲームが増えた。

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