【愛情】魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ/教育の本質
皆さん、こんにちは!
以前、YouTubeにアップしたものです。
(noteでは主に文字起こしです)
皆さんが思い浮かぶ「優しい人」「優しさ」とは、どのような人でしょうか。
よく「優しい人が好き」と言いますが、とても抽象的であり、人によって優しさの定義のようなものが違うので、ズレが生じないのかななんて思うことがあります。
今回は中国の老子(ろうし)の言葉であるこちらの言葉。
『授人以魚 不如授人以漁』
ごめんなさい、私は読めません。。。
意味としては、「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」という意味です。聞いたことがある方もいらっしゃるかと思います。
解説しますね。
目の前でお腹を空かせている子がいたら、魚を釣って魚を与えると1日で食べてしまいます。しかし、釣り方を教えれば、生涯食べていくことができるということです。
魚を釣ってあげることは、もちろんそれも自分のできることで人に何かをするんだという優しさではあります。しかし、魚を釣り続けると、釣ってくれる人がいないと食べることができない人になってしまいます。
自分がいないと生きていけない状況を作ることは、相手に対しての優しさではないし、少し失礼に当たることでもあるように感じます。
だんだんとあなたが魚を釣ることが当たり前になっていく未来ができあがっていくことも考えられます。
魚をもらおうとしている方も、魚を与えようとしている方も、本質が見えていないように思います。
「魚の釣り方」を教えるというのは、方法、ノウハウを教えることです。
方法を教え、相手ができるようになったら寂しいかもしれませんが、教えたあなたははもう要りません。
方法を教えて、実践し、ときには手を差しのべ、見守るということは、自立につながると大事なことなのかなと思います。必要とされなくなることがいつしか喜びとなるのではないかと思います。
仕事で思い浮かべると分かりやすいのかなと思います。
新人さんにいつも答えばかりを与えるのではなく、考え方、方法を教えることによって力をつけ、新人さんが先輩の手から離れていく。任せられるようになったということです。
そうすることで、この先輩は別の仕事に専念することができる。
そうすると、職場にいい流れができますよね。
あと、「なぜ」という問いに対して、答えをすぐに渡してしまうのではなくて、自分の頭で考えさせるという時間、ちょっとしたヒントも相手の成長のために与えられたらいいのかなと思います。
大人でも答えのみを求めている方は多くいらっしゃいます。
そのような方を何人も見たことがあります。
その場しのぎで上っ面な理解なので、応用がきかなかったり、物事を派生させて考えを巡らせるというのが苦手というか、しない傾向にあるように実体験から思ったことがありました。
「魚を取ってくれる人」が優しいと思っている方にとっては、「釣り方」を教えようとする人のことを、よく思わない人もいます。意地悪な人と捉える人もいるかと思います。実際にそう捉えられたことも私はありました。
しかし、伝わる人には「優しさ」「愛情」はちゃんと伝わりまりますので、大丈夫です。
伝わる人には伝わるし、伝わらない人には伝わらないですね。
これは優しさの定義がお互いに違うということです。
ということで、今回は老子のお言葉でもある「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」について話してみました。
あなたは、何でも与える人、何でも「いいよ」と言う人になってはいませんか。
優しい人というより、単に都合のよい人になってはいませんか。
それは相手のご機嫌取りをしているだけの臆病な人であったり、相手の成長を止めてしまう人とも言えるようにも思います。
相手には「魚の釣り方を与える」
自分は「魚の釣り方を習得する」
みんなが知っているような話になってしまいましたが、「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」という考え方がもっと広がればいいなと思い、語ってみました。
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