信じることは悲しいこと
新興宗教だとか
スピリチュアルだとか
そういうのに嵌ってしまう人が、今まで本当に理解できなかった。
そもそもそういうものに対して 危ない 怪しい という先入観があるはずなのに、どこかでぽろっと盾がなくなったように受け入れてしまう。
人の理性の裏側にまで入り込む、そういうものってなんなんだろうと思っていた。
でも最近、なんだかわかる気がする。
自分がいつでも受け入れてもらえるという状況 、
先の希望が確定している(ように思える)ということ 、
それって 、なにかに縋らないと手に入れられないものだから。
宗教だけじゃない。
私の好きなおんがくだって、映画だって、小説だって、
ひとつの思想のうえにあるもの。
いつしか救われることを目的として、救われることを想像して、そういうものに縋ってきた。
人は、考える生き物だから変わるし、難しいし、怖い。人と関わるうえでたくさん考えて考えてを繰り返してきた人こそ、多分それを知っている。
だからこそ、不確定で不安定な 人 を信じるより、変わることのない 思想 や 信念 を信じるようになる。
これに気づいてから、そういうものに縋る人のことを軽視できなくなった。
自分だって、ツールが違うだけで、思想に縋っている。
だから、曲と自分を重ねたり ライブで救われた気になったり、そういうときにすごく怖くなるときがある。
自分は自分が望むメッセージをくれる人達以外を遮断して、断片的な思想をすべてだと思い込んでいるんじゃないかと。
最近は、そういうことをぐるぐる考えてます。
答えは出ません。