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【海外暮らし】人生と向き合ったら訪れた想像していなかった未来

日本一普通の人生(自称)を送っていた私に
この3年間で急激に幾つもの転機が訪れ
想像していなかった人生を歩むことになりました。

気付けば海外暮らしも3年目、世界の旅を楽しみながら夫婦で起業を目指す暮らしになりました。
そして来年には故郷に帰って生活する予定です。
これまでの経緯、そして今想像していないであろう私の未来についてお話しします。


日本一普通の日本人


私は自分自身を日本教育で生まれた日本一普通の日本人だと認識しています。 

義務教育を真面目に受け、部活動に勤しみ、大学受験に失敗し初めての大挫折、大学ではいろいろな出逢いや経験を楽しみ、大手起業に就職すれば親を安心させられると就活をがんばり大手企業に就職。

学生時代にはそれなりに夢を抱き、それでも現実との乖離を認識するようになって、まずは安定の中で好きを見つけて就職しました。

そうしてきっちりとしたルールや伝統を破ることもなく真面目に、そして大切にして集団の中で過ごしてきました。

特に大きな苦手や不得意もなく、それなりに満遍なくできるようになった結果、突出した好きや得意もないという自分が出来上がりました。

これが自分を日本一普通と思う理由です。
(自分のことだからそう思うということは百も承知です笑)

もちろんそこまでの人生がダメだったという訳ではありません。

なんでもやりたいと思ったことは挑戦させてくれて、何も強制をしなかった両親のおかげで、幼いながらにも自分で選択してきた人生でした。

一方で、保守的で受容的で周りの目が気になる自分の性格から、自分が歩いている道に疑問を抱くこともなければ、「こっちに変えた!」と進路変更する行動力もなく、自分で選んでるその道は”周りからどう思われるか”を意識した選択であり、安定第一のような選択でした。

そして隣の芝は青く見えるからか、自分のことが一番見えていないからか、世の中には何かに突出して専念して生きている人がいる一方で、自分は大きな失敗もしていなければありきたりな人生を送っていると感じていましたし、それでいいと思っていました。

”普通に”働いて、”普通に”お金を貯めて、”普通に”結婚して、”普通に”子どもを授かって、”普通に”子育てをして…そういう(私が知る限りの)”普通”を生きることの幸せを得られたらいいなと思っていました。

集団の中で暮らすこと、規律を守ることは大の得意です。
比較的優等生をできていたと思います。

でも、心のどこかで自分には合っていないことに気付いていました。

語弊のないように申しますと、日本の教育や会社のシステムがダメと言いたいわけではなく、これは心の問題で、集団の中で”いい子でいないと”マインドが消えず、特に私が周りの目を気にしてしまうからこそ、勝手にがんばって勝手に疲れてしまっていました。

でもがんばらないことももちろんできない。

そんな中で、得意なのに疲れる環境を自分で作り出してしまっていました。


25歳で動き出した人生

きっかけ①結婚

2020年夏、5年間お付き合いしていた彼と婚約しました。

その婚約をきっかけに「こうやって家庭を持って子どもを授かって、描いていた人生を歩んでいくんだな」と私らしい安定思考を巡らせていたのですが、「海外住んでみない?」という夫の提案が、いろいろ考えや理想を持ってもなかなか行動に移せない私の不安をワクワクに変えてくれました。

夫と人生のワクワクが一緒ならこんなに嬉しいことはない。
それなら2人で挑戦してみても良いんじゃないかと思いました。

もちろんすぐに2人して退職する訳ではなく、徐々に下調べと最終的な意思決定、そして退職準備を始めました。

きっかけ②コロナ

コロナにありがとうとはお世辞でも言えませんが、私が持っていた「安定」を全部覆したのは間違いなくコロナです。
安定第一で選んだ道でも揺らぐことがあると教えてくれました。

やっと私は「それなら”やりたい”を優先して人生選択しようかな」と思い切って、海外移住へ踏み出せる気持ちになりました。

婚約をして海外生活を視野に入れ始めたのもまだまだコロナ禍。
もちろんまだ国境も開いていない中で、海外移住話がスムーズに進んだ訳ではありませんでしたが、それでも「冒険の始まりだ」と人生の新しい章の始まりにワクワクしました。

このようにパートナーとの人生の始まり、そしてコロナという当たり前を覆した存在があって、”普通”だった私の人生が25歳にして動き出しました。 

海外生活の始まり

実際に海外に飛び出せたのは話が挙がってから2年後の2022年夏でした。

お世話になった会社にそれぞれ感謝を伝え、仕事を引き継ぎ、オーストラリアでの生活を始めました。

出国当時は2年ほどで日本に帰る予定だったので休職という選択肢もありましたが、せっかくの海外挑戦に帰る場所という甘えは残したくないという思いで退職を選択しました。

大きな挑戦だったものの、夫と一緒という安心感も大きかったと思います。

人生と向き合った日々

海外で暮らしてみたい、働いてみたい、そうして視野を広げたい、そう思って日本を出ました。

海外生活を終えたときのことを具体的に決めていたわけではなく、場所を選ばずお仕事ができるスキルが身についていれば良いな、ざっくりとこういった目標だけ持っていました。

オーストラリアで過ごした2年間、2人でたくさんの選択をしました。
住む場所、やりたいこと、2人の将来、たくさん話しました。

海外で住むにはビザという権利の問題が伴います。

何年も先の未来を保証してくれることはなく、ワーホリビザで入国した私たちに与えられた権利は1年間。そこから延長を選んで計2年間。

そうやって未来が保証されていないからこそ、なんでも選べるからこそ、自分の人生・2人の人生をたくさん考えました


タスマニア(ホバート)の街並み

変化だらけの2年間

私たちはきっと計画的な人間で、目標に向かって達成するためにルートを考えては必要に応じて計画的に貯金もします。

しかし海外生活という新たな経験を重ねる中で、感じ方や思いの変化ももちろん多くありました。

だからこそ目の前のことを一つ一つ選択して2年間を過ごしてきたので、2年前にはもちろん、半年前に描いていなかった未来を過ごしている中で日々新しい自分たちを更新しました。

安定思考だった会社員時代の私には考えられないくらい未来は抽象的で変化が多いですが、その分選択肢は無限になりました。
2人で大きな夢を共有し、そこに近づけるように2人で議論を重ねています。

夢と予定は違う

私たちには夢があり、それも一つではありません。

仕事のこと、家族のこと、いつかの子どものこと。

そういった中で何もかも叶えようと進んできましたが、現実的に優先順位をつけなければいけないことも見えてきました。

2年間オーストラリアで素晴らしい経験をして日本に帰ろうと思っていた出国時。
もう少し海外で暮らしたいと海外生活の延長を視野に入れたオーストラリア生活後半。
永住を目指してのニュージーランド入国。
日本にいる家族のことや海外に住む以外の夫婦の夢などを改めて考え直し日本への帰国を検討している現在のニュージランド生活。

海外でもう少し長く過ごしたかった、という気持ちも少しあります。
日本にいる家族や友達にもその予定でお話ししていました。
誰も何も思わないのかもしれないけれど、胸を張って宣言した予定の変更を恥ずかしいという思いも少しあります。

それでも自分たちの人生。一番に叶えたいこと、諦めたくないこと、優先順位とタイミングを考えたときに予定を変更しました。

夢を描くのは自由。いくつ持つも自由。それでもそこまでの道のりを考えたときに現実的にしていくのが予定。

数ヶ月前に言っていたことから変わってしまったかもしれないけれど、今になって見えたものがあって、今の私たちは自分たちの人生をたくさん考えて選択していると胸を張って言えます。

会社員時代は1日1日過ごすことにいっぱいいっぱいで、考えられていなかった人生と向き合えているように思います。
それが嬉しく、それ以上に未来にワクワクしている自分が嬉しいです。


今まだ想像できていない未来

ということで、今描いている未来とも、また違う未来が1年後には訪れているかもしれません。

でもそれでいいと思っています。

その時の自分たちが最善でありこうしたいと思える選択を一つ一つできるのであれば、問題ない。

違うと思えばまた舵を切ればいい。

そう思える心のゆとりができました。

海外生活がすべてではもちろんないけれど、いろーーーーーんな人に出会い、自分の人生を自分の意思で選ぼうと改めて思えるようになりました。

実際の予定の変化もそうですが、そう思えるようになった自分自身の変化が一番想像していなかった未来かもしれません。


#想像していなかった未来

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