見出し画像

寿司屋とメンヘラ

昨日久しぶりに中学生の頃からの友達と遊んだ。中高と同じ学校に通っているからもう6年の付き合いになる。そんな彼女とも来年からお互い違う大学に行くので、これからは頻繁に顔をあわせることはなくなってしまう。

夜の7時。2人とも少食だから食べられるだけ、かつゆっくり食べれる回転寿司屋さんを選んだ。安いお味噌汁をすすりながら、2人とも軍艦ばかりを食べていた。

「なんで生きてるのかわからなくなるんだよね。」とため息交じりにぼやく彼女は中学生の時から患っていたうつ病と今も戦っている。私から見たら、そんな彼女は私なんかよりも友達も多いし、彼氏もいるし、大学も早くに決まっていたから、色々目的や楽しいことなど目白押しなんだとおもっていたから、ちょっとびっくりした。バイトもあまりやりがいを感じないし、彼氏はゲームばかりやっているし、体調がすぐれないこともしばしばあるという。

何か、生きる目的があればいいんだけどね。と私も呟いてしまった。自分も夢破れ、目的もなく、薬を飲んで寝る毎日に、何か一つ夢が見つかれば生きる希望を見出せるのではないかなと、ずっと思っているのだ。

死にたくても死ねないね。と2人で話してしまった。多分彼女も私も本当に死にたいわけではないと思うのだが、何かの心の歯車がうまく回らなくなると、底知れない闇に体ごと葬りたくなるほどの自暴自棄な気持ちが湧きでてくる。それがいつ起こるかわからない。その恐怖と戦うことがちょっと辛いねと。


彼女は私の話も聞いてくれた。最近の私はと言うと、バイトで店長さんに「役に立たないいんだよね」と言われ、勤務中に涙が止まらなくなってしまった。まだ勤務し初めてたった一ヶ月。最初はどんなこともむちゃくちゃ褒めてくれる店長さんだったのだが、最近は真面目に働いても働いても怒られてしまう。自己肯定感が少し低い私にとって、役に立たない。と言う一撃は大きかった。ここにいても迷惑なだけ、給料泥棒なのか私は、でも真面目に働いているし、致命的なミスを犯したわけでもない。なんで。と言い訳ばかりが頭を埋め尽くす。

こんな感じでうまく回らなくなった歯車は、どんどん大きく空回りをつづけるようになる。お金を持つと手が震え、お客さんの目が見れなくなり、吃るようになる。動悸が激しくなって、店長の顔が見れなくなり、冷や汗が出てくる。

「叱られたくらいでこんなになってたら、人生やっていけないよね、全く」と冗談交じりに話すと、彼女は食事をするのをやめて私のことを見ながらこう言った。


「無理なものは無理よ。できないことはできない。そんな簡単に病気は治っては治ってはくれないよ。」


ゆっくり向き合っていかなきゃダメだよと、私はずっとうつ病と向き合って生きて行くもん。と彼女は言った。合う合わないは必ずあるんだから、と。


周りの人はきっと、一ヶ月でバイトを辞めるなんて、全く根性のないやつだと言うかもしれない。いちいち気に病みすぎだ。このクソメンヘラがと言われるかもしれない。だけど、もうそれはしょうがないんだから、向き合って行くしかないじゃん。頑張って生きなきゃ。と思った。

もちろん、私は病気だから、となんでも病気のせいには絶対にしない。なんでもやってみる、だけど、人よりできない項目が多いかもしれない。それは徐々に向き合っていかなくちゃ。と思った。なんで自分はできないのかと悩むよりもこれはできると言うところにもっと視点を変えてみようと思った。

あと一時間したら、今日もバイトに行かなければいけない。早速ひどい動悸でフラフラする。でも今日行ってみて、この前のように大きく空回りしちゃうようだったら、もうそのバイトはやめよう。辞める権利は私にあるんだし、役に立たないと戦力外通告されたのだから、私なんかいなくても人は足りているんだきっと。


いいアドバイスをくれた彼女に、私もいいアドバイスをあげられたらよかったのだが、できなかった。でも小さな目標ができた。


大学で心理学をちゃんと学んで、彼女のいい話し相手になれるようになる。話終わってちょっとでも気持ちが晴れてくれるような、そういうことできる人になりたいと思った。



お寿司屋さんのお勘定は1人たったの680円、サイゼとそんな変わんなかったねと笑いながら帰った。






よろしければ、サポートお願いいたします。サポートしてくださったお金は、大学院進学の費用に貯金させていただきます。