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廃人学生の作り方

「一応羊ちゃん」が今回のトプ画です(どうでもいい)

*一個前の 病み学生の作り方 の続きです。*

あのあと私は生きてんだか死んでんだか、な生活を送り続けました。学校では毎日冷や汗をかきながら下を向いて廊下を歩き、ケータイをいじって休み時間をなんとなく過ごし、真面目にノートはとりつつもいつも上の空でした。

ただ大きな問題は、学校で一切の食事を取れなくなったことです。人の前で物を食べるということが気持ち悪く感じたんです。自分の食べ方は汚くないか。咀嚼音が特に苦手になり、自分もそして周りの子の咀嚼音が耐えられなくなってしましました。お弁当箱のかちゃかちゃとなる音、お弁当特有の匂い、人が食べている様子が苦手になりました。なので私は、もうお昼を食べることは諦めずっと図書館にいました。

鬱になった理由に、多分食生活が入っていると思います。当時の私は、はやりに乗りたかったからか、朝ごはんはタピオカ食ってました(は?)冷凍のタピオカを大量に買い、紅茶に何粒かぶっ込みひたすらそればっかりを食べていました。別に好きではなかったけれど、何か食べなくちゃいけないと思い、芋だし体にいいだろうと、冷凍のままコップに入れ十分に解凍せずティーバックとお湯を直接注いで食べていました。

多分それが原因だと思いますが、学校に着く頃には強烈な腹痛と吐き気が全身を襲いました。時には学校の最寄駅、学校のトイレなどで一時間くらいヒィヒィ言いながら泣き、髪の毛を抜いたり口の中を噛んだりしながらカッターを使わない自傷行為を繰り返しました。

朝昼とまともに食べず、ふらふらになりながら帰宅する私を母親は叱りました。

もうどうでもいい。と思った。中学の頃から将来の夢のために頑張っていたことも諦めてしまった。今まで必死になって勉強していたが、最近は集中力が持たない、その上一週間も休んでしまった。もう授業についていけなくなった。友達が怖い。学校にいる人が怖い。もう大学とか行きたくない。できるなら今すぐ死にたい。すっと何も考えないで死にたい。希望に満ち溢れている人が羨ましい。学校に楽しく行っている人が憎い。。

母親にもう学校に行きたくないと言いました。高校卒業試験を受けて頑張って合格するから、もう高校を辞めたい。大学に行くことは私には無理。勉強するとパニックになってくるんです。自分が答えたものが本当にあってるのか心配になって何度も何度も確認してしまう。挙げ句の果てに、今日のテスト科目すらもなんだったかわからなくなってしまう。数学の問題を解きたいのにずっと違う科目が頭のなかに浮かんできちゃう。混乱するんです。

泣きながら必死に訴えました。母親からは意外な答えが帰ってきました。

「一回辞めようか。つぐむが元気になってからもう一度考えよう。もう学校いかなくていいよ。」

体の緊張が一気に緩み、でもすぐにこれで本当によかったのかという罪悪感が入り混じり結局ぶっ壊れてました。

母親と担任の先生の話す声が聞こえる。母親と父親の話す声が聞こえる。

重く、長い夜が毎日ちゃんときます。毎晩毎晩泣きました。

母親も父親も仕事に行ってしまい1人になった日がありました。何を思ったか急に誰かに話したくなったのです。私は東京都の相談センターみたいなところに電話をかけました。私のこと全く知らない人にアドバイスをもらおう、もし優しい言葉をかけてくれなくても、会うことはないんだし、電話切っちゃえばいいと思ったので、軽い気持ちで電話をかけました。

「あなた、もうそれは病院に行かれたほうがいいと思う。もう我慢しなくていいんだから、このままじゃ体もどんどんボロボロになってしまうよ。」

その後、母親に精神科に行きたいと伝えました。すぐに一緒に病院を探してくれました。初診は予約が取りづらくどこも二週間待ちとかだったのですが、比較的早く見てもらえる心療内科・精神科を見つけました。

長い時間カウンセリングをした後、診断書を書いていたいただきました。病名は不安障害。抑鬱状態が続いており、強迫観念、パニックも見られます。クラスで授業を受けたりすることが困難だと見られるため、保健室登校などの対策をお願いいたします。というようなことが書いてありました。

初めてもらった薬はレクサプロといううつ病の薬でした。セロトニンという神経伝達物質が他の人より不足しているため、それを補う薬だと説明を受けました。

初めて飲む薬は私にはとても副作用が強く、飲んですぐに激しい動悸がおこりました。飲んだ次の日の朝はとても気分が悪くなり、手すりや壁を触らないと地面が揺れているように見え、フラフラしました。なんとか学校まで行き、自分の席に座る頃には汗だくになっていました。診断書を手に持ち、吐き気を抑えながら先生にやっとの思いで診断書を渡したのを覚えています。

母親は先生に電話を入れていてくれたようで、その日から私の保健室生活が始まりました。

次からの生活が、私の人生を大きく変えました。よく考えて書きたいのでこの話はここで書き終えたいと思います。

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