☆そらあい☆発達凸凹育児 息子も1人の人間なんだと思えるまで①
母親は妊娠が分かってからだんだんと
心も母親になる準備をしている。
みんなは、妊娠が分かった時
どんな気持ちだった?
私は本当に嬉しくて嬉しくて
主人と一緒に個人の助産院へ行ったのを今でもはっきり覚えている。
普通に妊婦さんして
普通に出産して。
そんなキラキラな未来を
想像していた。
十月十日(とつきとおか)・・。
自分の体の変化も受け入れながら
だんだんと人間の姿をしていく我が子をモニター越しに見ながら
可愛くて可愛くて仕方なかったあの頃。
お腹の中で動くあの感覚が、本当に愛おしかったなぁ。。
万が一、出産に危険があっても
自分の命よりも
まだ見ぬ、会った事のない我が子を
助けてほしい、と
いつも願っていた。
実際、切迫早産からの入院、
その後、入院中に私の状態が急激に悪化し
緊急の帝王切開。
状況は本当に悪く
母子共に危険な状態。
私たち親子は
生死を彷徨う経験をし、
主人と実母は
息子の命か、母親(私)の命かを選ぶよう言われ
「死の宣告」を受けている。
結果、息子は早く生まれ
10か月もお腹にはいなかったけれど
そんな大変な思いをした中、生まれた我が子は
本当に愛おしかった。
この子は死んでいたかもしれない。。。
そう思ったら、なんてかけがえのない命なんだ、と思った。
育児しながらも
小さい我が子を見ては、本当に本当にかわいいと思った。
自分のお腹にこの子がいたんだ、と不思議な感覚が
とっても幸せだった。
そんな幸せな育児は「夢」だったと
すぐに思い知らされる。。
育児は簡単じゃなくて
想像とは全く違って「過酷」。
いや・・「地獄」
そう感じることも
多くあった。。。
こんなにイライラして眠れなくて
自分の時間なんて全く取れなくて
自分の存在意義が分からなくなる
自分ってなんだっけ。。
母親ってなんだっけ。。
こんなにも大変なのかと
「絶望」すら感じていた日々。
夜になると
悲しさ。虚しさ。孤独。。。時に怒り。
あらゆる負の感情が
湧き出てきた。
寝顔を見ては
「今日も1日、やっと終わった。。。」
そう思っては
夜泣きに対応。。
精神崩壊寸前。。
そして私は、全く母乳が出なくて
自分は「母親失格なんだ」と日々感じていた。
自分の子に、お乳を吸わせることすら出来ないなんて
本当に悔しくて、辛かった。
今思うと、そう自分で自分を追い込んでいたのかもしれない。
どんなに寝かしつけても
オムツ替えても
ミルクあげても
なかなか寝付かずイライラした夜。
抱きかかえながら
背中を・・お尻を・・叩く強さが
イライラからだんだんと
強くなっていくのが自分でも分かった。
そんな日々を繰り返しながら
ずっとずっと過ごしてきた。
母親として
間違ったことはしてはいけない
ちゃんとしなければいけない
育児書通りに行かない自分の目の前の育児。
初めての育児が自分をどんどん追い詰めていった。
とにかく「責任」を
強く強く感じていたのだ。
この先、まさか我が子が「発達障害」と診断される日が
来るとはこの時の自分は
全く思ってもいないだろう。。
だって・・・
②へ続く・・・
※この連載は11年間の息子との軌跡の振り返り連載です。
私たち親子がどう生きてきたかを何回かに分けて綴っていきたいと思います。
※あくまでも息子を育て、医師の指示や自分の勉強、資格取得から得た知識を元の記載いたします。
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