
第八十一話「法テラス」2025年1月30日金曜日 晴れ
毎週木曜日が相棒の店の勤務日だ。今週は相棒に予定があり、水木の連勤となった。月末ということもあるのだろう、週半ばだというのに盛り上がった。ありがたいことに、両日ともにお客様からたくさんご馳走になった。
つまり、金曜となった今朝、私は二日酔いである。
重い頭を枕から持ち上げることもできずに、けたたましいアラームを聞きつづけていた。
今日は朝イチで法テラスで債務整理の相談に行かなくてはならないのだ。それでも二日間のご馳走に悔やむことはない。その分売上が上がったのだ。相棒に少しは恩返しが出来た。
二日酔いと法テラスの約束は、自分の問題だ。
アラームを止め、時刻を新たに設定する。法テラスまでの移動時間を考慮して、ギリギリまで寝ることにする。法テラスを反故にしてもいいのだが、再予約はおそらく一ヶ月近く先になる。それほど、困窮者は多いのだ。
それは私も同じだ。一カ月先送りにすれば、決断と行動はもっと先にずれ込む。ずれ込めば、困窮度合いはもっと深く、暗いところに行くだろう。
今日行かねばわならない。覚悟を持った二度寝だ。
再設定時刻に起きる。二日酔い対処薬である五苓散を飲み、頭痛薬を噛み砕く。顔を洗い、簡単に髪を整えて出かける。相談に必要な書類は予め用意していた。よし!
私が予約した法テラス相談室は、それほど遠くない。余裕を持って到着した。
受付で紙を二枚渡された。一枚は個人情報、もう一枚は債務状況を記入する。カルテと問診票、ということだろう。
提出すると、もう一枚紙を渡された(※見出し画像)。法テラスの相談についての注意事項が4項目書いてある。
・相談は30分程度
・同一相談は3回まで
・相談の結果、弁護士費用立替を利用する場合は審査がある
・相談後は退室受付などは不要。そのまま帰って良い
というようなことが書いてあった。
時間になり、案内された相談ブースに行く。すでに弁護士先生がいらっしゃった。
驚いた。
弁護士は、ずいぶんと若い女性だった。
いや、昨今のジェンダー問題、エイジハラスメント問題からすれば、驚くこと自体が問題なのだが、それでもやはり、驚いた。すでに一線を退いた老年の弁護士がアルバイト感覚で働いていると思っていたからだ。
驚いたが、同時に安心した。
受付で書いた書類と土地家屋の権利書などを渡し、質疑応答から始まる。自問自答していた内容でもあるし、区の債務相談センターで話したことだ。滞ることなく回答した。こんなことに慣れたくはないのだが。
弁護士の先生も慣れたものだ。若くして、というのも失礼なのだが、有能なのだろう。
私の債務状況と現在の収入から、債務整理した場合のスケジュールを素早くシュミレートしてくれた。
その数字は、なるほど現実的なところだった。
でも、と先生は言った。
「いつか自分のお店を持ちたいとおっしゃいましたね。債務整理をするといわゆるブラックリストに載ります。それ以降、リストから外れるまで借入はできなくなります。ーーつまり、その夢を諦めるか、どうか、です」
詰め寄るような口調ではない。高校の進路相談を思い出す。そういえば進路指導の先生も女性だった。
サトウくんのやりたい事、目指したいことはわかる。理解しています。でも、今の成績では。
サトウくんのやりたい事とサトウくんのできる事とは、イコールにならない。
イコールにするには、サトウくん自身が変わらなくては。
この年齢になって、また同じことを言われている。成長しない男だな、私は。
「今日結論を出す必要はありません。ご実家の土地家屋を使って自治体から支援を受ける制度もあるようです。ご両親に住んでもらったまま売却もできるかもしれません。そこを調べてからの決断で良いでしょう」
サトウさんのやりたい事のために。と続けた。
相談の結果、今日のところは現状維持だ。それでも無駄な足踏みをした気持ちにはならない。
むしろ、晴れやかな気持ちだ。前向きになれた。
有能な先生だった。法律知識だけではない。たった30分だが、私の人生に向き合い、肯定してくれた。二日酔いを理由に反故にしなくて良かった。
権利書などを返却してもらい、相談ブースを辞した。
帰り道、着信があった。出てみると法テラスの受付からだった。
「申し訳ありません。個人情報と債務状況の書類をお持ち帰りではないでしょうか?」
鞄の中をあらためると、確かにあった。
「ええ、ありますが。お渡しするものでした?」
三枚目の書類には『受付を通らずに帰宅して良い』とあったので、何の確認もせず帰ったのだが。
「はい、弁護士の先生が受け取り、当センターで保管するものです。お帰り道に申し訳ありませんが、再度こちらにお越しいただけないでしょうか?」
可笑しかった。若くして弁護士資格を得、第一線で働く先生がこんな凡ミスをする。
ええ、いいですよ。戻りますと返した。
人生は失敗の連続だ。誰かのミスをあげつらったりする必要はない。
そして、自分の失敗も過大に貶める必要はない。
法テラスへ戻る足取りは軽かった。