不安になるのは思考が止まらないから。「ながら」でできる瞑想やってみよー
瞑想とは、思考を見ないようにすることである
そしてそれには体勢も、目を開けているかどうかも関係ない
それが私がこの本の今読んでいる部分から読み取った内容
まだ読みかけだけどメモしておこう
※このnoteは本の要約・解説ではなくわたしの解釈、主観多めです
瞑想って、どんなイメージありますか?
あぐらで目を閉じて呼吸する。意識を集中する。無になる。
みたいなイメージないですか?
それも間違いじゃないけど、今回この本を読んでいて
根本はそういうことかーと納得できた
まず、人には思考というものがあって、それは自分でコントロールできるものではない。
例えば、
・もし〇〇が起こったらどうしよう。あれはあれでこれはこれで、、、
・あの人はすごいな。あの人は立派だな。それに比べて自分は、、、
・仕事でミスした。怒られた。クヨクヨクヨクヨ、、、
みたいな感じ
放っておくとどんどん思考が湧き上がってくる。
みんなそうだよね。
コントロールできそうでできないのが「思考」。
もうこのことについては考えたくない!と思いながらも、止めることができない経験、ありますよね。
もちろん思考は人にとって必要なときもある。
だけど大半があまり意味のないもの・・・らしい。
思考って、何かを決断することもしていないんだって。決断するのは智慧。(この話はまた今度。)
コントロール不能な状態で、次々に湧き上がってくる思考は、自分を不安にさせるしネガティブな状態に持っていってしまう。
起きてもいないことを心配したり、事実でないことを妄想して怒りを覚えたりすることすらある。
ネガティブな気持ちは人間の本能でもあるから、否定する必要はないと思う。
だけどそれによって自分が苦しくなってしまうし、何しろ思考はあてにならない幻想も多い。
例えば、人から挨拶が返ってこなかったとき。
実際には相手に聞こえてなかっただけなのに、嫌われたってずっと悩んでいる状況。本当に自分がツライだけ。
そういう状況を、思考が作り出していることが多いのです。
人は未来や過去のことばかり考えて不安になっているって言うよね。
そこで役に立つのが瞑想。
上にも書いたとおり人の思考はコントロールできない。
だから、思考を止めるのではなく、思考を見ないようにする。自分の見ている範囲に、思考が入らないようにするイメージ。
自分の名前を何度も呼ばれていたのに、目の前の作業に集中しすぎて聞こえなかったこととかないですか?
そんな感じで、ほかのものに集中することによって、思考から意識をそらしていく感じ。
そのために呼吸に集中したり、体の感覚に注意を向けたりすること。それが瞑想。
なるほど〜っと思いました。
瞑想って、どっぷりヨガやってる人じゃなくても生活に取り入れている人がけっこう多くないですか?
特に何かにおいてプロフェッショナルな方たちってそういう人が多いイメージ。(あくまでもイメージ)
何かに全力投球している人や、いつもご機嫌に生きている人って、日頃から無駄な思考が少なくて、今に集中している人が多いのかなーと思ったりする
そういえば「今に集中する」系のことはこの本でも書いてあったな
何の道具もいらないのに、こんなにも効果的ってすごいよね瞑想。
そして瞑想はなにもあぐらで目を閉じてするものだけじゃない。
五感に集中すると、いつだってできる。
アロマや飲み物の香りを感じて呼吸するとか、雨の音をじっくり聞いてみるとか。
あとは、歩いてるときでも足の感覚に集中するとか、シャワーの心地よさに感覚を向けるとか。
自分の行動を実況中継するように集中するのもいい。なにかを読んだり書いたりするのでもいい。
とにかく思考を見ないようにできればOKだよな。
森林浴もメディカルケアに使われてたりもするもんね〜。
旅をしていて絶景に心を打たれたとき、実はわたしもよく言ってた。
「これは目を開けてする瞑想だ」って。
あながち間違いじゃなかった!きちんと理論づけて言語化されていてうれしいなぁ。
初心者にはむしろ「目を開けてする瞑想」のほうが簡単かも。
つまり、我を忘れて何かに集中する時間を少しずつ増やしていく。
それが結局いまを生きることにつながって、その連続が人生をつくっていく。
目を閉じてする瞑想はすーぐ思考が浮かんでくるから、わたしもまだまだむずかしく感じていて。
もちろんそっちの練習もしていくけど、日々の小さな行動でも瞑想はできる。イマココに立つことができるんだよ。ね。