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色を経て全ての色が消える時 光の中に溶けゆく心

美しい宝石のような

サクラです。占い師の私は相談者の問題解決に向き合いつつも、笑ったり、怒ったり、悲しんだり、ほのぼのしたり、うっとりしたり、いろいろな感情を分かち合う。
身に付けるオパールが慈悲の紫と、悲しみの青を、怒りの赤を喜びのオレンジ色を放つように、その美しさを眺めるように、光を当てて人の心を眺めている。
どんな感情も美しい。光を反射している限り、色を放つ限り。

現実を創造する光を見つめ、反射する全ての色を私は愛する。
相談者の美しい瞳が光り、理由がわからない涙が流れる時、伝染する至福と喜びに満たされる。
美しい光を見つめる仕事。

うつくしい庭のような

臨済宗海蔵時の庭が、禅宗でありながらこの世の美しさの限りを尽くしていたことを思い出す。
うつくしい光に照らされた人々の心のような、色とりどりの花、完璧な配置、高さ、完璧な奥行、全ての存在が調和して、そこに必ずあるべきものがあり、あるべきものだけがある世界。

この世のすべてが幻であると知りながら、究極の美を現出させる事に全てを注ぐのは何という皮肉なのだろう。人間の性を表しているようでもある。

色とりどりの絶景を眺めながら、透明な存在と一体になる。
透明な光が涙になり、色のない至福の感情があふれ出す。

創造する知性だけが真実であり、目に見えない計算であり、色のない透明な意識である。
透明な意識に帰依した時にのみ、あるべき場所にあるべきものが存在する、解を知る。

全ての色はまやかしで、全てのまやかしは美しい。
美しいすべてのものが現実で、現実は美しいまやかしだ。
海蔵寺の計算された美しさは、現実がまやかしとして創造されていることを教えてくれる。

透明な意識に帰依し、透明な意識が創り出す定めと同じ質の色と形を、人間の世界に描いた庭。

まぼろしの世界は存在の意味と同化した時、鏡に映る真実となる。

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