ハーフ→ダブル
Hola!私は、メキシコと日本の血が混ざっている桜子です。
1990年代には、『ハーフ』と分類され、ある意味珍しい人種として日本世間が思う頃にこの世に生まれ落ちました。
幼稚園に入る頃には、母とスペイン語を喋っているのを同級生に見られれば「変人!」と言われ、2年ほどスペイン語を話すのを嫌がったのを覚えております。
その頃、母が目が緑色のメキシコ人で綺麗だなと思いながらもスペイン語を発する事が恥ずかしかったデス。
無意識な葛藤
家では、スペイン語も日本語も飛び交うのが普通な中で外ではそれが普通じゃないと分かるのには時間がかかりました。
それを知った時、正直あたかも自分が悪い事をしている。黒い白鳥だと思いました。
電車では、母がスペイン語で話してくれば周りの人が「あら、ハーフよ」と小声を発する。
満員バスでも、母の隣に座りたがる人はいませんでした。
そんな中、私は母が好きでも好きを言えなかったです。
そこから、『私は損している。皆んなより半分だ』と思いました。
自分探し
そんな中、同級生にインドと日本のハーフの子がいました。彼女のお家にはよく遊びに行っていて、兎に角明るかった。
小5の頃「なんで〇〇ちゃんは前向きなの?」と聞いたら「お母さんが私はハーフじゃなくてダブルだって言ってたもん。私は2倍得してる」と言ったのです。めちゃめちゃカッコ良かった!
そこから、私もまつ毛が長かったり目が大きかったり、スペイン語喋れたりを前向きに受け止められました。
美人な母を自慢することも😚
そうやって少しずつ、自分を受け入れましたが、私が『私とは』を分かったのはおそらく1〜2年前だと思います。それくらい、ダブルで胸張れるまでは試行錯誤しました。
でも、ここで伝えたいのは可哀想とか悲劇のヒロインをしたい訳ではないです。現代、国際結婚で授かった子や日本から海外に出ていく人が自分のアイデンティティに疑問がある場合に、それが普通だと知って頂きたいからです。
ダブルへ
ハーフからダブルですと言う様になったのは2年前ほどです。
分かっていながらも、自信を持って言う程では無かったです。
でも国際ベイビーは得です。
言語に触れる機会も増えて、食文化はじめ異なった文化を生きれて、楽しいです。
でもそれは、親が触れさせてくれて社会が何と言おうと「自分で居なさい。それで良い。でも各文化はちゃんと尊重しなさい」と教えてくれたからです。
一番苦労したのは、親だったと思います。
どれだけハイレベルに苦労しただろうかと言うと、私はマジで50%メキシコ人・50%日本人です。
食も、言語も、そして出来る限り日本の良いところとメキシコの良いところを取って自分を築いて行く様に日々意識しています。
国籍も正直選べないくらい。だって私はこの2つの血から出来ているから。
意識する事の大切さ
何よりも大切なのは、いつでも自分が誰か、どうなりたいか、何を得たいかを意識する事だと思います。
ダブルだけではない、留学したりバックパッカーだったり、海外赴任したり、億と自分が生まれた以外の文化に触れる事ができる中、アンテナを張って、各文化の素敵な所を観察し、吸収する事で自分の一部となると思います。
純日本人でも、日本文化にガッチリ合わない事もあると思います。
なので、私は血筋関係なく、好きな人はダブルになれると思います。
本当はそんな人種分けも無くても良いかもしれませんね。
今の時代、色んなツールでたくさんの文化を知れるのは素敵です。それを最大限に活かして、視野を広げたらもっと良い世界になるかもしれません。
私は、日本人な私も、メキシコ人な私も、大好きです。
Hasta luego ! 🌸
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