9.11の記憶 あの頃の繋がり具合を考える
9.11は、3.11と日にちが一緒だからなのか記憶に刻まれている日付の1つで、なんだかんだ毎年あの頃を思いだしているような気がします。
ふと思いだしてしまうのは、たぶん高校の後輩がインパクト強めの連絡をくれたからです。
*僕個人の記憶を書いているので、事実と異なるところがあっても気にしないでくださいね。
2001年9月11日
たぶん23時過ぎ、アルバイトから家への帰り道を歩いていると、高校の後輩からメールが届きました。
たしか、「やばいっす、ビルに飛行機がちゅどーんってぶつかりました!」的なメールでした。
イタズラかと思って、すぐに電話をかけました。
すると、後輩は慌てた様子で
「アメリカでビルに飛行機がぶつかったんです、早く帰ってテレビ見てくださいよ!」
というように言っていたような気がします。
そうか。
あの頃はまだガラケーでした。
携帯メールは短文しか送れなかったのか、結構長文も送れたのかはよく覚えていません。
(もちろんLINEなんてありませんでした。)
Webページの閲覧はできなかったような気がします。いや、できたのかもしれません。
ガラケーでスポーツの結果速報を確認していたような。このあたり、記憶が曖昧です。
少なくとも外出中にニュース映像を確認することはできず、アメリカで起こった同時多発テロの映像を確認するには家に帰ってテレビを見る必要がありました。
これも曖昧な記憶ですが、その当時家にはパソコンが無かった気がします。
無くても特に不便はなかった頃です。
テレビと新聞で目にするアメリカでの痛ましい事件は、外国での事件であって、怖いと感じながらもどこか遠くのことに感じることができていた(距離をとることができていた)気がします。
今、同じようなことが起きたならば、スマートフォンにニュース速報的な通知が届き、ネットニュースやSNSで映像を確認できます。
便利ではありますが、ちょっと繋がりすぎているというか刺激強めの世界だなと思いました。
2001年当時のガラケーはまだ世界中と繋がっているわけではなくて、家族や友人など顔のわかる特定の誰かと繋がるためのものでした。
僕は刺激が強いと不安を感じやすいので、あの頃の繋がり具合もそれはそれでよかったなと思っていたら、そういう考えの人も増えているという記事を見つけました。
デジタルネイティヴといえば聞こえはよいですが、小さな頃から有象無象の情報を大量に浴びせられて過ごす若者は大変だなと思いました。
とはいえ、一度スマホの便利さに慣れてしまうと手放し難いのもまた事実です。
世界との適度な距離の取り方、試行錯誤しながら生きていくしかないですね。