【深掘り記事】ツーカー/デジタルホン/デジタルツーカー/通信事業者3社、それぞれの歩み。【更新済】
【7750文字】
1.はじめに
ツーカー、デジタルホン、デジタルツーカーの各グループは、日本の通信業界で独自の存在感を放っていました。
これらの名称や背後にある経緯は、単なるブランド戦略にとどまらず、当時の通信業界全体の動向を反映していました。
この記事では、各グループの名称に隠された意味や、それぞれの背景にある株主構成、戦略について具体的な事例を交えて詳しく解説します。
基本的にデジタルホングループはJ-PHONEグループに統一されるまでを説明します。
この説明の中では通信の自由化後参入した通信事業者等を参入時期によってグループ分けします。
①一次参入組
・NTT(後のNTTドコモ)
②二次参入組(通信の自由化に合わせ参入)
・DDIセルラーグループ(後のKDDI au)
・IDOグループ(後のKDDI au)
③三次参入組
・デジタルホングループ(後のSoftBank)
・デジタルツーカーグループ(後のSoftBank)
・ツーカーグループ(後のKDDI auに吸収合併)
2.ツーカーグループの名称と背景
①ツーカーグループの構成
ツーカーグループは、
・ツーカーセルラー東京【日産自動車/DDI】
・ツーカーセルラー東海【日産自動車/DDI】
・ツーカーホン関西【日産自動車】
(関西地区は既にDDIセルラー関西の営業区域だったため、関西地区で資本参加せず。)
3社で構成されていました。
関東や東海地方では「ツーカーセルラー」という名称が採用されましたが、関西地方のみ「ツーカーホン」という名称が用いられていました。
この違いは、一見すると小さなものに思えるかもしれませんが、実は地域ごとのマーケティング戦略や株主構成の影響を反映していたのです。
②ツーカーホン関西の特異性
ツーカーセルラー東京や東海と異なり、関西のみ「ツーカーホン」という異なる名称が採用されたのは、株主構成に関係があります。
ツーカーセルラー東京とツーカーセルラー東海は、主要株主として日産自動車と第二電電(DDI)が名を連ねていました。
ツーカーホン関西では、第二電電は参画せず、単独主要株主として日産自動車のみで主導していくことになりました。
この事は、関東、東海地域ではDDIセルラー、IDOが二次参入組として営業を開始した際、各地域で営業エリアを分け合い、結果として、第二電電(DDI)として営業エリアの空白地帯でした。その為、全国で影響力を持ちたいと考えていたDDIとしては、関東、東海地区で影響力を持つ事を強く望んでいたのです。
しかし、関西地区はすでにDDIセルラー関西として営業エリアとして認められており、DDIとしてツーカー事業に共同参入すると関西地区でDDIセルラー関西とツーカー事業2社のサービスを行うことになり、共に加入者数を取り合うことになる為、関西地区ではツーカー事業に参入しませんでした。
主要株主
ツーカーセルラー東京:日産自動車、第二電電(DDI)
ツーカーセルラー東海:日産自動車、第二電電(DDI)
ツーカーホン関西 :日産自動車
その為、関東(東京)、東海、関西で主導する株主構成の統一性がなくなりました。
この株主構成の違いが、関西地域における独自のブランド戦略を生む要因となったのです。
3.デジタルホングループの名称と背景
①デジタルホングループの構成
デジタルホングループは、
・東京デジタルホン
・東海デジタルホン
・関西デジタルホン
の3社で構成されており、いずれも日本テレコムが主要株主として支援していました。
4.デジタルツーカーの名称と背景
①デジタルツーカーグループの構成
デジタルツーカーグループは、
デジタルツーカー北海道
デジタルツーカー東北
デジタルツーカー北陸
デジタルツーカー四国
デジタルツーカー中国
デジタルツーカー九州
の6社で構成されていました。
これらの会社は、日本テレコムと日産自動車が主要株主として支援しており、地方市場での通信サービスの提供を担っていました。
②トリビア
デジタルツーカーの営業エリアでは、「ツーカー」と呼ばれる事が多かった様です。また、デジタルツーカーショップもツーカーショップと名乗る事も少なく無かったようです。
現地で「ツーカー」の愛称で親しまれていたデジタルツーカー。
デジタルホンとデジタルツーカーが、統一ブランドのJ-PHONEに変わった時は、「ツーカーが潰れた。」と一部で話題になったそうです。
(本来のツーカーグループはおおよそ10年後にKDDIの通信ブランド、auに取り込まれツーカーブランドは消滅する事になるのです。)
※おまけ
DDIの資本が入った事により、ツーカーのロゴマークはDDIセルラーと同じ六角形のマークの中にTU-KAの文字が入っている。
②地域密着型戦略と全国展開のバランス
デジタルツーカーグループは、地域ごとの独自のニーズに応じたサービスを展開すること、三次参入組が2社参入すると加入者数の獲得に苦慮するとみられた地域の営業をそれぞれ統一の通信キャリアを運用する事になりました。
その為、東名阪以外の地域で2社が合弁会社として作ったのがデジタルツーカーグループです。
ツーカーグループを主導していた日産自動車/DDI、デジタルホングループを主導していた日本テレコムの三次参入組であるライバル2社が共同でサービスを運営する事で、更に株主構成によるねじれによる影響は強くなっていくのです。
全国規模での統一感を保つためにそれぞれの社名の一部である「デジタルホン」のデジタルと、ツーカーセルラー(ツーカーホン)のツーカーを、組み合わせた名称として「デジタルツーカー」という名称を採用しました。
この名称は、地方市場で全国的なブランドイメージを維持するための重要な要素となりました。
5.株主のねじれによる影響
①ライバル企業同士の合弁会社設立
5-1日産自動車・DDI主導のツーカーグループ
5-2日本テレコム主導のデジタルホングループ
上記2社は、同じ東名阪で競い合うライバル企業でしたが、それ以外の加入者獲得に苦戦が予想される地域については、2社で合弁会社を作ります。
そして、ライバルである2社は協力関係を築きながら全国で通信サービスを提供するため、東名阪以外の地域に合弁会社デジタルツーカーを誕生させました。
そして、ツーカー、デジタルホン、デジタルツーカーの3社は共通したサービスを武器に、先行するNTTドコモ、IDO、DDIセルラー、PHS各社と競い合う事になりました。
②株主構成のねじれによるサービスへの影響
・概要
ツーカーグループ、デジタルホングループ、デジタルツーカーグループの3社のうち1番株主構成による影響を受けたのはツーカーグループでした。
1997年にデジタルホンが、携帯電話ブランドを『J-PHONE』にし、リブランディングしました。
そして1999年にデジタルホン、デジタルツーカーグループが日産自動車の携帯電話事業からの撤退によりデジタルホンにデジタルツーカーは吸収され、デジタルツーカーブランドは消滅しました。
その後、両社は『J-PHONE』に社名、ブランド共に全国統一ブランドとしてスタートすることになりました。
それに合わせてサービスや元のサービス名も統一したものになっていきました。
そして、日産自動車とDDIの影響を受けていたツーカーは、日産自動車の撤退、ツーカーは、DDI傘下として3社再スタートすることになりました。
そしてツーカーグループは、1999年に誕生したJ-PHONEグループと2000年に誕生しKDDIとしてスタートした2社の間で翻弄されていく事になります。
元々、ツーカー、デジタルホン、デジタルツーカーの3社は全国でそれぞれの事業者のユーザーが全国で問題なく利用できる様、通話、通信サービスの国内ローミングサービスをおこなっていました。
そして、サービスもある程度統一されており、サービス名などにもスカイサービスとして、その影響は色濃く残っています。
この、通話・通信サービスのローミングはツーカーグループがKDDIグループに吸収された後も、その後のSoftBankにローミングし続け、ツーカーサービス終了までSoftBankにローミングする事業形態は変わる事はありませんでした。
③日産自動車の携帯電話事業からの撤退
1999年3月にツーカーグループ、デジタルツーカーグループで主導的役割を担っていた日産自動車が、携帯電話事業からの撤退を表明します。
当初の予定
5-3日産自動車がDDIの所有する【ツーカーセルラー株】を買い取る。
5-4日産自動車が所有する【ツーカーセルラー株】【デジタルツーカー株】を日本テレコムに売却。
5-5日本テレコム傘下のデジタルホンに【ツーカーグループ】【デジタルツーカーグループ】を合併させて1社化させる。
しかし、同年7月頃、DDIは【ツーカーセルラー株】の日産自動車の買取価格に不満を持つ。
そして、DDIが所有している【ツーカーセルラー株】を日産自動車に売却する話しは白紙となった。
結果
5-6日産自動車が所有する【全ツーカーグループ株】はDDIへ売却することになる。
5-7日産自動車所有の【デジタルツーカー株】のみを日本テレコムに売却する。
5-8【ツーカーグループ】はDDI傘下に。
5-9【デジタルツーカーグループ】は日本テレコム傘下になる。
そして、【デジタルツーカーグループ】は1999年10月に日本テレコム傘下のデジタルホンに吸収される形で統一され、全国統一サービス会社である「J-PHONE」ブランドを誕生させる。
ツーカーグループは、DDIと資本関係の無かったツーカーホン関西も含め、DDIグループとなったが、通信規格がデジタルホンと同じだったため、ツーカーサービスが消滅する最後までJ-PHONE(後のSoftBank)のネットワークにローミングし続ける事となった。
そして、NTTドコモ、KDDI、J-PHONEの全国でサービスを行う3社と、ツーカー3社は東名阪以外はJ-PHONEのネットワークを借りながらサービスを行う不利な経営状況となった。
④通信サービス等の具体例
ツーカーグループとデジタルホングループはライバル同士でありながら、協力関係を築いていたことから、サービス内容に共通する部分が多々ある。
その後、ツーカーグループがDDI傘下となった事で、旧デジタルホンとの共通サービス、DDIグループのサービスが混在し、株主構成のねじれを最後まで受け続ける事となった。
・着信メロディ配信サービス
ツーカー(PDC):スカイメロディ
デジタルホン(PDC):スカイメロディ
デジタルツーカー(PDC):スカイメロディ
・文字情報サービス
デジタルホン(PDC):スカイウェブ
デジタルツーカー(PDC):スカイウェブ
(後にJ-SKY Webに統一、全国統一サービス)
IDO(CDMA One):EZaccess
DDIセルラー(CDMA One):EZWeb
ツーカー(PDC):EZWeb
(後にEZWebに統一、全国統一サービス。ツーカーグループは同じPDC方式でエリア展開してきた、J-フォングループ内のエリアでもEZWebサービスが利用できた)
文字情報サービスは、DDIの資本傘下に回った事により、後のJ-フォングループとは別のIP接続サービスが提供されました。
・ショートメッセージサービス(SMS)
・SMS(相互に送受信可)
仕様:全角64文字/半角128文字
ツーカー(PDC):スカイメッセージ
デジタルホン(PDC):スカイメール
デジタルツーカー(PDC):スカイワープ
※1999年12月までには3社で相互に送受信が可能となりました。
これは2011年7月13日から、大手携帯電話会社間でSMSの相互送受信が出来るようになるよりも10年以上早く実現されました。
また、余談になりますが、2011年より以前からSMSを会社を跨ぎ、送受信することができたのはツーカー、デジタルホン、デジタルツーカーだけではありませんでした。
PHS3社+DDIセルラーグループが1998年から一早く段階的にそれぞれの会社間で相互送受信を導入していきました。
これはPHSサービスのDDIポケット電話グループが、「Pメール機能」の仕様を開示し、その仕様にPHSサービスを提供していたアステルグループおよびNTTパーソナルグループが対応する形で実現したのです。
・SMS(相互に送受信可)
仕様:半角カナ、半角英数字と絵文字が20文字まで送受信可
DDIポケット(PHS):Pメール
NTTパーソナル(PHS):きゃらトーク
アステル(PHS):Aメールプラス
DDIセルラー(PDC):たのしメール
1999年には日本移動通信(IDO)と協力関係だったDDIセルラーがKDDIとして一つの企業としてスタートする前から、限定的にSMSの相互送受信を可能としました。
・SMS(相互に送受信可)
仕様:半角100文字・全角50文字まで送受信可。
IDO(PDC):プチメールα
IDO(CDMA One):Cメール
DDIセルラー(CDMA One):Cメール
※IDOの「プチメール」(全角64文字)、セルラーの「たのしメール」(半角20文字)は上記サービスと送受信不可。
その後、送受信可能な文字数の多いキャリアメールへと主軸が移り変わっていきました。
・キャリアメール
・Sky Message E-mailサービス
ツーカー:○○@sky.tu-ka.ne.jp(ツーカーセルラー東京)
○○@△△.sky.tkc.ne.jp(ツーカーセルラー東海)
○○@sky.tkk.ne.jp(ツーカーホン関西)
・Sky Walker E-mailサービス
デジタルホン:電話番号@email.sky.tdp.ne.jp
J-PHONE:○○@jp-t.ne.jp(J-PHONE東京)
○○@jp-k.ne.jp(J-PHONE関西)
○○@jp-c.ne.jp(J-PHONE東海)
・スカイワープ E-mailサービス
デジタルツーカー:○○@email.sky.dtg.ne.jp
・EZwebメール/EZaccessメール
ツーカー:○○@t△.ezweb.ne.jp
IDO:○○@eza.ido.ne.jp
○○@ezg.ido.ne.jp(cdmaOne方式の端末)
○○@ez△.ido.ne.jp
DDIセルラー:○○@dct.dion.ne.jp(北海道セルラー電話)
○○@tct.dion.ne.jp(東北セルラー電話)
○○@hct.dion.ne.jp(北陸セルラー電話)
○○@kct.dion.ne.jp(関西セルラー電話)
○○@cct.dion.ne.jp(中国セルラー電話)
○○@sct.dion.ne.jp(四国セルラー電話)
○○@oct.dion.ne.jp(沖縄セルラー電話)
キャリアメールについても、ツーカーグループはデジタルホン/デジタルツーカー、そして、後のKDDIグループとの資本関係のねじれにより、キャリアメールも唯一2つのサービスを並行する事になった。
・通話・通信サービス
・通話・通信サービス(サービス当初)
ツーカー⇄デジタルツーカー
デジタルホン⇄デジタルツーカー
↓
・通話・通信サービス(サービス終了時点まで)
ツーカー( KDDI)⇄SoftBank
・インターネットサービス(当初)
J-PHONE→J-Skyサービス
ツーカーグループ→EZweb(KDDIと共通サービス)
6.まとめ
ツーカーはソフトバンクに、売却が検討されていた事がありました。
ただ、KDDI社内の反対派から、的に塩を送るようなものだと反対意見が多く、KDDIグループに止まることになったのです。
※前例としてPHSサービスのDDIポケットが投資ファンドのカーライル・京セラに売却され、ウィルコムにブランド名を変えました。
さらにその後、ウィルコム(旧DDIポケット電話)は、ソフトバンクに売却されます。そしてソフトバンク支援のもとワイモバイルとしてサービスを提供していた例があります。
ただ、ツーカーグループ、デジタルホングループ、デジタルツーカーグループの名称とその背景には、当時の通信業界における競争と協力のダイナミズムが反映されています。
複雑な話しなので中々記憶に残らないかもしれませんが、ロゴマークを見ても資本関係がねじれた形だったとイメージできるかもしれません。
また、これらの名称がどのようにユーザーの心に響き、サービスの信頼性や親しみやすさを高めたのか、その効果は現在の通信業界にも受け継がれています。
これらのグループが日本の通信業界に与えた影響は、現代のキャリア形成の基盤となっており、名称が持つ力を再認識することができます。
※各グループの株主構成と名称、サービス展開戦略
ツーカーグループ
構成会社
• ツーカーセルラー東京
• ツーカーセルラー東海
• ツーカーホン関西
主要株主
• 日産自動車
• 第二電電(ツーカーセルラー東京・東海)
• 日産自動車(ツーカーホン関西)
名称の由来や戦略
• 関東・東海では「ツーカーセルラー」
• 関西では「ツーカーホン」
• ツーカーの仲という言葉からツーカー。第二電電のセ
ルラーを組み合わせツーカーセルラー。日産自動車単
独参入の関西はツーカーホン。
デジタルホングループ
構成会社
• 東京デジタルホン
• 東海デジタルホン
• 関西デジタルホン
主要株主
• 日本テレコム
名称の由来や戦略
• 都市部のビジネスユーザーや若者をターゲット戦略
デジタルツーカーグループ
構成会社
• デジタルツーカー北海道
• デジタルツーカー東北
• デジタルツーカー北陸
• デジタルツーカー四国
• デジタルツーカー中国
• デジタルツーカー九州
主要株主
• 日本テレコム
• 日産自動車
名称の由来や戦略
• 「デジタルホン」「ツーカー」の2社の名称一部を
組み合わせたもの。「デジタルツーカー」。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?