鳴かぬなら
今日は、松下幸之助さんのエピソードを一つ紹介したいと思います。そのうちシリーズ化してみようかな。
こういったエピソード紹介は、妄信的だと言われたり、後付けの話だと言われることもありますが、今回はそういった声を恐れず紹介してみます。それくらい、今回の話は私にとって面白いものでした。
松下幸之助さんは、非常に偉大な経営者でありながら、周囲の意見をしっかりと取り入れる方だったそうです。その証拠?に、松下幸之助さんは耳が大きくて立派ですよね。(鶏が先か卵が先か・・・)
そんな松下幸之助さんの人の意見を聞くスタンスは、頭ごなしに否定せず、まず肯定し、「それなら、~ならどうや?」という風に、積極的に意見を述べさせるようにする、というものだったそうです。多様性を肯定し、衆知を集める経営、まさに自分以外のすべては師である、という言葉どおりの姿勢ですね。
この姿勢をよく表しているエピソードがあります。ある時、松下政経塾の塾生から「有名な三武将のホトトギスの逸話にちなんで、先生ならどんな句を詠みますか」と訊かれたときに、こう答えたそうです。
「鳴かぬなら それもなお良し ホトトギス」
かつての武将たちは、ホトトギスを殺そうとしたり、鳴かせようとしたり、ただ待ち続けたりしていました。
確かにホトトギスの鳴き声は美しいです。しかし、鳴くことにしか意味がないのか。松下幸之助さんは、別の考え方を持っていました。
鳴かなくても良いのです。鳴かないこともまた良さである、それどころか、そのホトトギスが鳴きたくないのであれば、鳴くことよりも良いのである、といったように、全てを肯定できる器を持った方だったのですね。
この話を知った時には、何か自分の視界がぐっと広がったような気持ちになりました。あの偉業を成し遂げた武将たちに比肩するような考え方が存在したのかと思うと、改めて松下幸之助さんの凄さを思い知らされます。
これから社会の画一化と多様性の混在は加速していくと思われますが、私も多様性を認める、また、周りの人を肯定し、意見を聞かせてもらう、といった心を忘れないようにしたいです。
何事も偏りや独りよがりは良くないな、という思いを新たにしたところで、今日のエピソード紹介は終わりです。
数か月前まで松下幸之助さんのことはほとんど知らなかった私ですが、知れば知るほど面白い話が沢山あるので、また気が向いたら紹介します!
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