私と、母という人 (1)
母のことについて書こうと思う
そう思って幼い頃から見てきていたはずの母を思い出そうとして
衝撃的なことに気づいてしまった
私の子供の頃の記憶に、私のほうを向いている母の顔がない
いや、現実には必ずあったはずなのに
それを思い出すことができなかったのだ
私の記憶にある「母の顔」
それはアルバムの中の「母の顔」だった
それに気づいた時、私の胸は締め付けられ、自然と涙がこぼれ落ちていた
私の記憶に残る彼女は
とても可愛らしい人だった
子供のように感情豊かで、よく笑い、よく話した
天真爛漫という言葉が当てはまるのかはわからないが、その言葉を使いたくなるような人だったと思う
子供のように、というのは別の面にも現れた
感情豊かなので
よく泣いて、よく怒った
腹がたてば文句を言った
それは父のことであったり、祖母のことであったり
そして私たち子供のことであったり
散々祖母の悪口を私に聞かせ
最後に必ず言う言葉があった
『あんたはおばあちゃんにそっくりよ』
私という人間を否定するには充分なひと言
彼女は本当によく泣いた
そして感情的になると
押さえる私の手を振り払い、いつも家を飛び出した
追いかけて捕まえて、帰ってきてとお願いするのはいつも私の役目だった
その姿を見てきたのも私だけだったようにも思う
彼女に頼りにされているようで
それすらも嬉しかった気がする
いつだって母の味方をして
いつだって母の愚痴を聞いて
いつだって母を支えてきた
それでも、私が言われる言葉はあの言葉
『あんたはおばあちゃんにそっくりよ』
母は祖母が嫌いだと思っていたから
その言葉は私を嫌いと言っているようにしか聞こえなかった
私は「私」をみてもらいたくて
一生懸命にがんばった
認めてもらいたくて必死だったんだ
妹が褒められているのをみては
同じように真似てみたり
兄がすごいと言われているのを聞けば
同じように真似てみたり
けれど、私が褒められることはなぜかなかった
そして、事ある毎に
『あんたは自分でなんでもできるから』
そのひと言で、私を手助けしてもらえることはなかった
求めても叶わない
がんばっても報われない
望んだ分だけ傷つけられる
それを学んできてしまった
その頃の「想い」を大人になって
この病気の診断を受けて
1度だけ伝えたことがある
すべてを伝えたわけではないが
「寂しかった」という気持ちは伝えられたと思った
その時の彼女は、やはり泣いて
『ごめんね』
そう言ってくれた時、私の中でやんわりと何かが溶けだしたように感じた
でも、その後に
『みんな同じように育てたのに、なんであんただけそんなふうになっちゃったんだろうね』
あぁ、そうか
彼女にとってはすべてが「私」の“せい”なんだ
「私」が勝手に寂しく感じて
「私」が勝手に傷ついただけなんだ
やっぱり…
求めても、叶わない…
*
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