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私と、母という人 (3)


私は彼女にとって「言うことを聞かない子」だったらしい

もちろん私にはそのつもりはない

「私」はよく考えてしまう子供だった
それは自分のことでもそうだったし
親に言われたことに対してもそうだった

ゆっくり考えて、理解して、それから返事をしたし行動した

それが彼女には待てなかったのかもしれない

『どうするの!』
『わかった!?』

そう聞かれて、なにか考える前に
『やる!』
『わかった!』
と返事をするようになってしまうのは必然だった

そして後でゆっくり考えて、違うと思ってしまうと
『やる』と言ったことができなくなるときがあった

そこでまた、叱られるのだ

そうなると「私」は
すぐ返事をしなくてはいけなかったし
返事をしたら必ずやらなくてはならなくなって
いつも頑張っていたように思う


けれども彼女は怒るのだ



*
まだ幼稚園の頃

私は彼女に追いかけられている
家中を走って逃げてる「私」

捕まった私は彼女に足を押さえられ
火のついたお線香を押し付けられた
「熱い」というより「怖い」
泣いてお願いした
『やめて!』
『ごめんなさい!』

それが何度あったかはわからない
今こうやって思い出そうとして思い出した記憶

それは「虐待」ではなかったんだろう
私は「私」が悪かったから、と思っていたから

家中を逃げたのは
外に出たら家に入れてもらえなくなったことがあるから
そんな記憶もある

鍵のあるところに逃げて鍵を締めた時
ドアを叩く彼女がとても怖かった

逃げ場所がなく布団にくるまって隠れたら
馬乗りになってきて息ができないくらい苦しくてとても怖かった


「私」は逃げていた
追いつかれると必ず謝っていた

『ごめんなさい』
『ごめんなさい』

悪いことをしたのだろう


なぜ追いかけられ
なぜ叱られていたのか
それは覚えていない



「私」は虐待はされていない

けれど

傷つけられることはされてきた


それでも私は「母」を求め
「母」からの「愛情」を求めて
ずっと頑張ってきた

求めても叶わない
ならば諦めよう

私は母を「母」としてではなく
1人の「人」としてみるようになっていった



*
過去に書いたものになります
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