夢のはなし
ドラマ『カルテット 』で言うところの
へー。を生んでしまう
2年前にみた夢のはなし。
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久しぶりに夢に母がでてきました。
でてきたといっても
電話で話してただけなのだけど。
小学校の校舎に似てる建物の中に
高校生くらいの私がいて
何かの発表会だったのかな、
お芝居をしていて。
その舞台が終わって
帰りの支度をして
舞台を観た後一緒に帰るために
外で待ってくれているであろう母に
電話をかけながら階段をかけおりて
靴箱で靴を履き変えようとした時
電話が繋がったんだけど
母は観に来てなかったの。
「今日行けんかったんよぉ
どうしても体調がよぉなくて」
そんなに悪いって知らなかった。
それにいつもと違う声だったから
急に不安になって、
大丈夫なん?今からすぐ病院行くわ
って言ったんだけど
「大丈夫じゃから帰りぃ」
って。
わかったって電話を切って
怖くて怖くて
その場で泣き崩れてしまって。
やっぱり病院にいこうって
そう思った時に、
現実の私が目覚めました。
最後にちゃんと話せた電話の声を
はっきり思い出せなくなってる。
記憶が遠くなっていく。
それが寂しくて寂しくて。
不安で病院をあとにした時のこと
結局会えなかった時のこと
あの頃の自分の気持ちは
鮮明に覚えているのに
一番覚えておきたいことが
どこかへ行ってしまいそうで
ちゃんと繋ぎとめておかないと
消えてしまいそうで
母のことは
後悔しか残っていないから
夢の中の私が羨ましい。
ほんとうの私は
自分勝手で甘えてばかりで
迷惑しかかけてなくて
私のせいで死んじゃったんだと思うほど
全然大切にしてあげられなくて
結局何も伝えるべきことを
伝えられなかったから
だから
まだ目の前にいる
自分の大切な人たちを
ちゃんと大切にする
自分に人生の限りある時間を
捧げてくれる人たちを
自分の人生の限りある時間を
捧げたいと思える人たちを
私の人生に関わってくれている
すべての人たちを
愛するんだよ。
今しかないんだよ。
生きてるうちだよ。
って、
朝から思った昨日でした。
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Facebookの記事を遡ってて
久しぶりにこの文章を読んだのだけど
この時みた夢が鮮明に思い出されて
こうやって、現実と理想と夢の境界が
曖昧になっていくのかなぁなんて思いました。
相変わらず私自身は、
幸せだと不安になるし
手放しでハッピー!って
できたりできなかったりするんだけど
最近は、それも私なんだよなーって
受け入れられるようになりました。
あと、
〝私の人生に関わってくれるすべての人〟
は、この2年で圧倒的に増えていて、
それは手放しでハッピー!って
思えることだなぁって思います。
出会ってくれてありがとうございます!!
母が亡くなって7年と少し。
まだ心の一部は取り残されてるなぁと
母という存在の大きさを感じる日々です
あの時感じた気持ちとか
今思うこととか
言葉にしたくなったら
また書けたらいいなと思います。
生きてればいろんなことがあるけど
しんどい時こそ普通を装って
生きているものだと思うから
たまには肩の力を抜いて、
子どもみたいに笑ったり泣いたり
お家で1人の時にでも
好きなものに触れている時にでも
心の解放してあげたいね
そんな瞬間を届けられるのが
そういう心に寄り添えるのが
お芝居だと思うので
私はこれからもお芝居をしたいなって思います
なんか恥ずかしいけど、そうです。笑
いやはや。
へー。を生んでしまったなぁ。
なんだかとっても観たくなったから
カルテット観ようかな!
璃音 rinon