KURKKU FIELDS -「確かなもの」を取り戻す、生命の手ざわりを感じる場所
人間が、考えることをテクノロジーに任せる時代。
便利なものは、人間の本来の営みをどんどん遠いものにしてしまった。
五感で感じる、自分のあたまで考える、知恵を働かせる、細部まで深く理解する、人と協力する。かつての「確かなもの」はどこにいってしまったのだろう。
KURKKU FIELDSはそんな「確かなもの」を取り戻し、生命の手ざわりを感じられる場所だった。
宿泊者がオプションで体験できるツアーでは、カゴを持って、各自夕食で調理して食べる野菜を取りに行く(レストランでの食事 OR 自分たちでキッチンで調理するかは選択性)
まさかこんなところにニンジンが!
みたいな場所に、確かにニンジンが育っていた。
夢中で土をかき分け、ニンジンを土の中から引っこ抜く。
牛のミルクは、乳牛から年中とれるものではなく、
子どもを産んだ母牛から分けてもらう母乳
ありがたく分けてもらう。
養鶏場で採れた卵1つとっても、色や形はバラバラ。
普段買い求めている卵が、いかに規格に揃えられたものかを知った。
キッチンには基本的な調味料はあるけれど、白だしやドレッシングなどの便利な化学調味料は置かれていない。サラダのドレッシングを作ろうと思って、ビネガーとオリーブオイルの割合をネットで調べようとしたら、シェフに「味見しながらで、いいんじゃないかなあ」とやんわりアドバイスされて、自分の「ちゃんとしようとする」癖が抜けていないことや、ルールやレシピのような「こうあるべき」に囚われていることに気づいたり。笑
シェフが庭で採ってきてくれた柑橘の果肉を加えたドレッシングは、新鮮な春の甘味とほどよい酸味で、香り豊かな美味しいサラダになった。まず自由にやってみることが大切。困ったら寄り添って助けてくれる人が、ここにはたくさんいた。
野菜の芯や葉の部分、余らせてしまった食材などを堆肥にするために、宿泊者が各自コンポストに入れる。いかに普段の生活でフードロスしているか(捨てた芯や葉も刻んでお味噌汁に入れるとか工夫できること)など、気づくことや考えさせられることばかりだった。
Kurkku Fieldsでは、敷地内の太陽光パネルで発電した電力によって施設の電力をまかなっている。敷地内で採れた生乳や卵、小麦(栽培中)でチーズやパンを作って販売したり、駆除目的で捕獲した鳥獣をソーセージに加工するなど、この土地に暮らす虫や植物や動物や人、すべての生き物が生態系として循環している。
気がついたら、メールもSNSもチェックするのを忘れていた。
五感で感じる「いのちのてざわり」が確かすぎて。
中村拓志氏(NAP建築設計事務所)設計の地中図書館や素晴らしい選書に唸り、考え、感じることに忙しすぎて、とても1日では足りなかった。皆川明氏やikken設計室のCocoon(コクーン)は、部屋も家具も角のない曲線が本当に美しく、削ぎ落とされた美しい器とオブジェ、柔らかな繭に包まれているような安心感があって、今まで滞在した宿泊施設の中で一番心地よく、深い眠りにつけた。
五感が研ぎ澄まされる全く新しい体験、本当に素晴らしいエクスペリメントだった。練られたコンセプトをどのように建築家たちが深く理解して、ここまでデザインに落とし込めるのか。プロジェクトについて、いつかプロデューサーに聞いてみたい。