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市民と宇宙

最近、生命誌の科学者である中村桂子さんという方が気になって仕方がありません。

YouTubeや本を拝読しては、
長崎で森川放牧畜産との活動を通して
日々捉え直している「生きるとは」「イノチとは」
「私たちはどう生きるべきか」
という問いに対する気づきと
同じことをおっしゃっていて、

現場での気づきと
科学者の導き出した結論が同じであることが
美しくてなりません。

中村桂子さんの生き物とは?生命とは?という問いの答えは、
「生きるとは、時を紡ぐこと」

だから、日々の暮らしのことを面倒がらずに、楽しみながら行っていくこと。

それが、「地球上にたくさんいる生き物の一員として生きる」ということだと、仰います。

3.11 以降、「科学があまりにも暮らしから離れてしまった」ことを痛感し、
「科学者として、自分にできることは何だろう」
と、考え続けてきたそうです。

音楽やスポーツは目の前の人を楽しませることができる。
一方科学は?そういう役割ではないらしい。

では、生物学者としての私が、目の前の生活者に対して、貢献できることは何だろう?

「生命科学」では、生き物を機械の部品のように分けて捉えようとする。

それに対する疑問から、
「生命誌」という、「人間も自然の一部であり生き物である」ところから出発して、生命誕生から今に至るまでのストーリーとして、
イノチの物語として、生命を捉え直す。

中村桂子さんは、それを通して、
たくさんの生き物とのつながりのなかでの
人間の立ち位置を再確認し、
生き物として、人間らしく生きること
つながりの中で、生命の尊さを感じることが大切だと、社会に向けて発信されてこられました。


科学者として、私ができることはなんだろう?

私も、長崎での「暮らし」の場に関わらせてもらいながら、
何度も考えます。


そして今日、大阪・寝屋川市で、
大好きな織畠先生のサモックホール20周年コンサートに参加させていただき、
一つの景色が見えてきたのです。

プロの演奏者、歌手の方はやはり花があり、表現も本当に素晴らしく圧巻されました。

でも、本当に素晴らしいなと思ったのは、プロによる音楽だけではなく、
市民の方の歌や表現
それぞれの人生や味を表現されていて、
プロの演奏とも折り重なりハーモニーとなっていること。

そして、最後は、プロも何も関係なく、参加者も一緒に、共に手を取り合い、歌い、場をつくりあげる。

地球の主人公は、一人ひとりだよ、と
みんなでそれぞれの音を表現して、
重ね合わせて、
共に時を紡ごうよ、という、
織畠先生の創り出す世界の中に
自分も一緒になっていて
思わず涙が出ました。

まさに、「プレイ・ザ・アース」と称して
長崎、そして京都で(詳細は後日書かせていただきます)
作り上げていく世界観そのものだと、感じました。

そして、私には、織畠先生が
なんだか中村桂子さんと重なって見えて。

人間として、生き物として、
地球、そして社会で暮らすものとして
これから、科学とどう向き合い、表現していくのか

そのヒントを示してくださったのだと、思います。

科学とは、単に一つの表現方法にすぎない。

中村桂子さんの仰るように、
市民の中にある人間であることから出発する科学
を考えるならば、

科学の役割は、
暮らしの中で自然と湧いてくる日頃湧いてくる疑問に応える
つまり問いをキャッチし考え答えを伝えていく
本質を見抜きわかりやすくお届けする

ということなのではないか。

ならば、細部まで正確に表現すると言うことよりも
本質を捉え多少細部が間違っていたとしても
市民の側にわかりやすくお届けする。

それこそが暮らしの中の科学なんじゃないか 。

細部まで正確に伝えようとしすぎて、
論点や本当に伝えたいことがぼやけてしまう
自分でも見失ってしまう
ということがよくありますし、
科学者と話しているとそうなることが多いです。

科学の世界では、誤解を招かず、正確に伝えることを求められます。

でも、市民の一部であり、市民に伝えていくならば、

正確さより、
わかりやすさ

そして、面白さもいるかもしれない。

本質を見抜きひとことで表す

日々、意識していきたいと思います^_^

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