3.卒業後なにするの?
最近大学のことを具体的にnoteに書き始めたのは、就活をする上で否応なく自分と向き合わざるを得なくなったからだ。それまで漠然と感じていたことを言葉にしていく作業は思ったより辛かった。就活の性質上、社会的観念にある程度合わせる必要があり、そうしていくうちに自分の本心みたいなものを容易に忘れてしまう。卒業して何年か経ったら本当に永遠に忘れてしまいそうなので、ここに残しておくことにする。
私は多分自分の軸だけでも突き進んで行けないし、社会の軸だけでも生きていけない。だからどちらも大切にしてその真ん中を行きたいと思う。(少しこの歌詞の意味とは違うかもだけど勝手にそう解釈している)
これから書くのは主に自分の軸だけど、少し社会の軸も交じっていると思う。分けて書こうとしたけど難しかった。まだ社会に出ていない中で、少しの経験と多くの想像で考えていることなので未熟なことも多々あると思うけれど、ぜひ温かい目で読んでほしいです。
研究をやりたい-知的好奇心の探究
【なぜ?】
前回書いたように、研究の面白さに気づいてしまったので人生をかけて知的好奇心の追求はしていきたいと思う。自分にとってはこれは当然の感覚なのだけど、他の人の話を聞いていると研究はやらされるものという認識が強いようでびっくりした。少し悲しい一方で、それならこの知的好奇心は自分の強みと言えるかもしれないと思い直した。
【なにをする?】
ただ研究でやりたいことが何かと言われると正直まだわからない。今関わっている研究内容はとても面白く将来性を感じるが、自分が一生かけて取り組みたいテーマかと言われると少し違う気もする。(私は多分、研究内容というより、研究における頭の使い方やサイエンスに向き合う姿勢が好きなのだと思う。)
【今後の方針】
気持ちの勢いとしては今すぐにでも大学院に入って本格的にやりたい。けれど次で述べるようにとりあえず臨床をやることにしている。(臨床研修しながら大学院通うことも選択肢としてはあるが、どうせやるなら一度全ての時間をかけるくらいやりたいと思っているので少し違うかな)
臨床をやりたい-基盤をつくる
【なぜ?】
せっかく医学部に6年間通ったからにはある程度臨床ができた方が、研究をする上でも他の仕事につく上でも、何らかの視点がもたらされるだろうというのが一番の理由。現実的な面としては制度上、「日本で医師免許を持っていても臨床研修をしないと保険診療ができない」というのもある。今すぐに他に明確にやりたいことや方法があるわけではないので、一旦レールにのっておくかという消極的な選択ともいえる。
【今までの経緯】
正直に言うと大学の実習で、病棟の患者さんと話に行くことは苦手だった。この気持ちのハードルが何なのかはよくわからない。ただのコミュ障なのか、病気を抱えている人にどう接すべきかわからないからなのか、何もできない学生が行って何を話せばいいのか考えてしまうからなのか。
そして大学病院という性質上、治療により改善し、帰っていく姿を見ることはほとんどなかったので、臨床のやりがいというものは正直よくわからなかった。(カンファレンスで本気で議論している様子を見聞きすることは興味深かったし、グループに入り診療に参加させてもらう形の実習はそこそこやりがいを感じた。)
だからこそ、学生から見る医療と働く立場で見る医療、大学病院と市中病院はきっと全く違うだろう、その景色を見てみたいという漠然とした気持ちがある。
【今後の方針】
一旦、卒業して2年は(市中病院で)初期臨床研修をしようと思っている。
【何をする?】
初期研修を行う以上、その理念に沿ってプライマリケア(初期対応)をできる医師になりたいと思う。医者です、と言える程度には何かあった時に対応できる人でありたいし、専門性をつけていくのならその基盤となる全般的な知識は必要だろうと思う。(たとえば産婦人科に行くのなら、妊婦さんが糖尿病を持っている、交通事故で外傷にあった、となったら他科と連携するにしても前提知識がないとうまく相談もできないだろう。)
そして実習が始まってからの2年間、臨床現場で様々な医師を見てきた。こんな風になりたいと思う人がいる一方、 同じくらいこんな風になりたくないと思う人がいた。詳細は書かないが、その傾向をから私は何に価値を感じているのか改めて考えると、
「誰に対しても誠実であること」
だと思う。誰に対しても、とは患者さんの状況や背景によらず、ということでもあり、他の診療科や同僚の医師、コメディカル、学生に対しても同じだ。それはとても難しいことだとは理解しているが、立場によって態度を変えず、正直な言動と行動ができる人間でありたいと強く思っている。というか、これは医療者とかの問題ではないので人生の目標として、どこに行ってもそういう態度でありたいと思っている。
海外にいきたい1-好奇心と向上心
【なぜ?】
医療とは少し離れるのだが、ずっと海外に出てみたいという気持ちがある。それは旅行か留学か、ワーホリか、仕事をしたいのか、永住したいのか、自分が何をどこまで求めているのかはまだわからないけど、とりあえず数年外に出て日本人として生きてみたいと思っている。
【今までの経緯】
そういう経験がしたければ大学くらいで交換留学でもするものだと思うが、コロナ禍で考え自体を無かったことにしているうちに卒業が近くなり、結局在学中に行く勇気がなく、お金や状況を言い訳に諦めてしまった。少しでもその罪悪感を消すために、英語だけは日本でもできると思い勉強してある程度はできるようになった。ただリスニングやスピーキングはあまり自信が無く、日本にいるうちにはもう限界かなという気もする。
【何をしたい?】
とりあえず語学力(会話、議論)に自信を持ちたい、海外でも生きていける実感を持ちたい、そして多様な人種や価値観の人に向き合い、刺激を受けることで人間的に成長したい。
【今後の方針】
初期研修が終わったら何らかの方法で1年くらい海外に住みたいと思っている。ずっと後回しにしてきたが、語学は早い方がいいしワーホリビザなど年齢の問題などもあるので、一旦区切りとなる2年後に挑戦する予定。
海外に行きたい2-クィアネスの解放
【なぜ?(もう一つの理由)】
単純な好奇心以外の理由として自分のマイノリティ性がある。はっきり書くのは初めてだが、言葉をつけるならば、私は今自分のことを「ノンバイナリー」(男性でも女性でもない)で「アセクシュアル」(他者に性的感情を抱かない)だと思っている。LGBTの頭文字にも含まれない概念で初見の人は何を言っているかわからないと思うし、自分自身も言葉に当てはめるならば、というくらいなのでそれは当然だと思う。ただなんとなく自分や社会にずっと違和感を感じていることは事実で、最近やっとそれを認めてもいいのかもしれないと思い始めた。そしてこのマイノリティ性を抱えて日本を軸に生きていくのはまだまだしんどいのかなという気持ちがある。(海外に出たところですべて解決!でないのは理解してるが)一旦外に出て、誰も自分のことを知らない状態で、自分らしく過ごしてみたい。
【今後の予定】
上で書いたように、一度1年間くらい外に出てどう感じたかによって考えようと思っているが、海外で居心地がよければ将来的に(数十年後?)仕事を得て移住するのもありかな、とは漠然と思っている。ただ海外で臨床をやりたいとは今のところ思っていないので、研究やその他自分のキャリアプラン上で海外にポストを得ることを目指そうかと画策している。
産婦人科をやりたい-取り残さない医療
【なぜ?】
前回もちらっと書いたが、臨床をやるなら産婦人科をやりたいと今は思っている。それは実習で直感的にこれなら続けていけると思ったから、というのが一番正直な理由。ただ他にも楽しい、もっと勉強したいと思う科はあった。(精神、放射線、脳外科など、共通項はあまりわからない)ただ何十年先になっても自分が自分らしく働けるか、と考えると一番今のところピンとくる。
【なにをする?】
そして、「海外に行きたい2」に書いたことを契機に、性や生殖における健康や権利(SRHR)に関心があり、産婦人科との親和性が高いのも大きなポイントだった。現時点で特に関心があるのは「性」の部分で、セクシュアルマイノリティの人たちも医療にかかるはずなのに、医療現場(特に地方では?)でそこが配慮される場面を見たことはない。それは当然で、見ず知らずの医療者にいきなりカミングアウトなどできず、あえて言う必要もないからだ。でも医療面で相談したいことがある人は少なからずいる訳で、そういうフレンドリーな場を作れないかなと思っている。
(もうあるのかな?調べた限りトランスの方向けの場所はあるにはあるけど、ちゃんと多面的にサポートできてるのかは不明。他にも同性パートナーであっても面会できないとか、色々問題はある。こういう話は大学ではほぼ触れられない。)
これはやりたい、というよりは、医療者かつ関心がある自分がやらねばという使命感がある。
個人的には、研究との相性はどうなのか?、臨床も研究も公衆衛生もなど現実的に難しいのではないか、当事者だから視野が狭くなる部分もあるのではないか、などの不安はもちろんあるが、マイノリティの人に限らず少しでも多くの人(特に若い人)がアクセスしやすく、未来に希望を持てるような医療を届けたいと思っている。
【今後の方針】
卒業後2年はまず初期研修、臨床もっと深めたい!となったら産婦人科の専門研修をしようと思う。公衆衛生の方は、まだ漠然とした夢すぎて何をしたらたどり着けるのかわからない。自分の課題を解決してから、あと世界を見てから具体的に考えたいと思う。
教育をしたい-包括的セクシュアリティ教育?
【なぜ?】
完全に今までの個人的経験から、自我を確立していく小学校〜高校生くらいの時期に、いかにその人の個性を失わせずに成長をサポートしていくか、みたいなことに関心がある。特に中学高校では、ある程度裕福であったり勉強ができたとしても、親や周囲の期待に応えるために多くの人が苦しんでいるのを見てきた。
【今までの経緯】
2年くらい前、浪人の頃から関心があった教育系のNPO法人の研修に参加した。私はずっと子どもの教育に関心はあるものの、どこか影響を与えることが怖くて、自信がなくて、大学に入ってからも(教育系のバイトなど)何もしてこなかった。参加者のほとんどの人が何か子どもに関わる経験をしていて、その経験をシェアしていた。完全オンラインだったからか、年齢の問題か私はあまり馴染めずに終わってしまったが、社会には色々な関わり方があるのだなと思った記憶はある。
そして昨年の冬、カンボジアの孤児院でボランティアに参加した。カンボジアは以前家族で観光に訪れてから、ガイドさんに言われた「また来てね」を素直に受け取りいつか行きたいと思っていた。そして観光というよりは何か他のことをしたい、医療ボランティアもいいけど視野を広げたい、と思っていたところで見つけた孤児院のボランティアを含むスタディツアーに勢いで参加した。ボランティア自体もよい経験にはなったが、参加者が中学生〜社会人まで多岐にわたっていたことが一番の面白さだった。孤児院で子ども達と遊んでいる時も、私はどこかで怖気づいていて楽しめなかった。周囲には言葉は通じないのになぜか子ども達に好かれて手を握られている人もいたし、小学校の先生をしていて大勢の子どもに遊び方を教えている人もいたし、輪の中心になって踊りまくっている人もいた。私は馴染もうと努力したが、どうしてもどこか傍観者になってしまった。
その時思ったのは、私は私なりの方法で子どもに関わっていこうということだ。子どもが好きというよりは(かわいいとは思う)、教育に関心があるんだと思う。具体的な方法が何かはわからないけど、間接的に教育の仕組みを作ることもできると思うし、医療と何か繋げられることもできるんじゃないかと思っている。
【何をしたい?】
まだこれと言ってあるわけではないが、産婦人科領域で言うならば、今少し関心が高まっているのは「包括的セクシュアリティ教育」という概念。性や生殖における権利、健康だけでなく、人間関係まで含めた教育を行い、主体的な意思決定ができることを目指すものだ。
今現在も推進しようと活動されている人は多くいるが、自分はその中で何ができるのか?ということをもっと突き詰めていきたいと思う。
【今後の方針】
医療とどう繋げていけるかわからないけど、今後どこかで教育に携わりたい。そのためには一度どこかで体系的に教育について勉強した方がいいかもしれない。
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