自分を愛そうとする人は、みんなのことも愛せる人だ _(1)はじめに
『適応障害』だからすぐに休職するように。
22年8月、心療内科でこんな診断書をもらって、それから23年5月まで8か月間にわたって休職した。
ぼくは、いま5歳の長女と2歳の次女、
そして信頼している同い年のおくさんと一緒に暮らしている。
子どもたちは保育園へ通っていて、おくさんもフルタイムで会社員をやっている。
休職する前、ぼくはとある営業チームでマネジャーをしていて、
5人のメンバーと一緒にお仕事していた。その前の20年3月からはフルリモートとなっていた。
復職した今でも繰り返しよぎるのは、休む2~3か月前くらいから
自宅キッチンのシンクが汚れて黄土色になってしまっていたこと。
ぼくはきれい好きで、シンクやコンロだけでなく
お手洗いや洗面台、お風呂までいつもピカピカにしていたのに。
上京・入社して16年くらい。
営業の仕事や管理職の務めをよりよく果たそうと
駆けずり回ってきたと自分では感じている。
いったいなんだったんだろうな。
振り返ると自分に何にも残っていないようで
「ほんとにおれ、今日まで何やってたんだろうな」とむなしかった。
特に、仕事の内容や体制が大きく変わった直前の1年間くらいについて
「ほんとにいったいなんだったんだろうな」と、繰り返し何度も強く思っていた。
そんなことばかり思っていたけど
お休みの日々で、少しずつ少しずつ、自分や人の内面に目を凝らしはじめ
よく生活をする・よくお仕事をするとは何かを考え始めた。
コーチングやアサーティブコミュニケーションを学び始めて、「自己基盤を整えることがチカラの源になる」という考え方や、自分なりの意図をもって他者と関わることの大切さを知った。
そこから考えると、自分を振り返ってみてとてもむなしく感じたのは、
それまで自分のことをまったく大切に考えてこなかったからだと言える。
ぼくは何がどうであればOKで、どうすれば自分を大切に愛することができるのか。
まずはこの姿勢を根底に据えることの大切さを学んだ。
そして、自分を大切にすることで、
本当の意味で他者を愛することができるのだと考えられるようになった。
自分について洞察を深めて言語化していくことは
長い長い旅の途中にいるように感じることがある。
ひとりで漕ぎ出でた途方もない旅のように感じたけど
家族や変わらない仲間たちも支えてくれるし、新しい仲間もできたし
みんなと一緒なら遠くまでいけると、今では思っている。
ここから先、ぼくの休職期間のことについて言葉にしていきたいと思っている。決して、愚痴や昔話を書き連ねたいとは思っていない。
振り返りのなかから、
次にいかせるものや、みんなに参考にしてもらえるものを言葉にしていきたい。
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ここまで読んでくれてありがとうございます。
これからこんなふうに続けていこうと思っています。
よければお付き合いください。
・(1)はじめに(この記事)
・(2)診断・休職まで
・(3)休職のはじまり:しんどいよりも、痛くて重い
・(4)休職のはじまり:感情・思考の記録と、仕事・職場への思い
・(5)休職のはじまり:ぼくの前にも後ろにも
・(6)お仕事でのたくさんのコンフリクトたち
・(7)仕事とプライベートのコンフリクト、だけではなかった
・(8)休職期間中に学んだこと・発火したこと
・(9)最後に