自分を愛そうとする人は、みんなのことも愛せる人だ _(5)休職のはじまり:ぼくの前にも後ろにも
>>> ぼくの道はどこにあるのか
高村光太郎は、『道程』において
” ぼくの前に道はない、ぼくの後ろに道はできる ”
とつづった。
ぼくも高校生のころからこの言葉には心から共感していて
しっかりと歩めば、いつしか誇るべき足跡がついているはずだと思ってきた。
不惑を目前に休職して、ぼくのうしろを振り返ってみたんだけど
なんにも残ってはいなかった。
ほんとになんにも見つけることができなかった。
社名や肩書き、仕事仲間たち、背負ってきた商品から離れると
ぼくひとりでは何もできていなかったことがわかった。
ぼくひとりでは何もできないのだ、とも思った。
その気持ちには、虚無ともむなしいとも違う、なんだろうな、後悔というのでもない、
ほんといったい何をやってたんだろうな、としか言葉をあてることができない。
そこからひるがえって、
自分とは「何者かであるべきだ」という価値観がぼくのなかに眠っていたことにも気づいた。何者でもない自分に気が付いて唖然としているのだから。
>>> 自分のことはほったらかしだった_東京での生活
また、もう一方で強く感じたのは、
上京して16年が過ぎたのに東京のことを全然知らない、ということ。
何より、東京でまったくのプライベートでの友達がひとりもいない。
それに、せっかく東京にいるのに東京らしい体験ができていない。
・美術館・博物館、演劇・映画を体験したい
・あちこちのサウナに行ってみたい
・おいしいものを食べにいってみたい / 買って帰ってきたい
・はとバスに乗ってみたい
・たくさんの人に出会ってみたい
>>> 自分のことはほったらかしだった_好きだったこと
そしてまた、これまで好きだったけど
仕事でめいいっぱいだったり育児が始まったりして
いつの間にか忘れてしまっていたことも思い出した。
・ウルトラマラソンに出場したい / ランニングの時間を確保したい
・北アルプスに登りたい
・大好きな小説家の最近の作品を読みたい
・ラーメンとか寅さんとか植村直己さんの大冒険とか、大好きなものに触れたい
>>> 自分のことはほったらかしだった_気分よく過ごすためにできること
何より、自分自身について管理やケアができてない。
自分のことは優先順位を下げて、いい加減にしてきてしまった。
・マネープランを最適にしたい
> 支出を見直す(どこに重きを置きたいかを考える)
> 不要なものをやめる(クレジットカードや会員登録)
> オンライン化したい(銀行口座、会員カード・ポイントカードなど)
> オンライン決済をはじめる(電子マネー・バーコード決済)
> 無理のない範囲でポイントを活用する
> 投資について勉強&設計し、おくさんと相談する
> 生命保険について概要を改めて理解し、
要・不要をおくさんと再検討する
> ケータイのプランを最適化(ahamoに乗り換える)
・身だしなみを整える
> どんな装いでいたいかを再定義する
> ほんとうに気に入ったスタイルにしてくれる散髪やさんを探す
・持ち物の整理・不要な物の処分
> 重要書類(保険の証書や契約書など)を整理して
ひとところにまとめる
> 光回線をひき、快適なネット環境にする
> 何か月も何年も使っていないものは思い切って処分する
・体を鍛える
> パーソナルトレーニングで診てもらって必要な筋トレを教えてもらう
>>> 「いま・ここ」を大切にするために
12月の初めまでは休むことを優先して過ごしつつも
できる限り毎日、散歩に出て、そして自分のためだけの時間をとるようにした。
・これまで無自覚に進めてきたことを整理する
そのなかで、これまでほったらかしにしてきた上に書いたようなことについて、ゆっくりと、きちんと調べて自分で考えて整理を進めていった。これまでいい加減にしてきてしまった、公的なものや金融機関との手続きについての整理や、不要なものの削除を進めた。
・気分よく過ごすための方法を自覚する
また自分に目を向けたことで、身だしなみについても、いまの自分がもっとも気分よく過ごせるものがだんだんと分かってきた。高価なものでなくていいから、きちんとメンテナンスされて古びていない装い。でも靴だけは少々値が張ったとしてもいいものを買うこと。また、ぼさぼさになる前にきちんと散髪できていること。最低でもこれらのことができていれば、余計なことでモヤモヤして過ごさなくてよいと気付くことができた。
・生きるコストを小さくしたい
そうこうしているうちに、心理的コストを下げられることが気に入ってミニマリストになることを念頭に置き始めた。物が少なければ、使うときに選択に迷うこともなく、使ったあとの片付けや収納に苦労することもない。何よりきちんと考えて自分にとっていいものを選びとろうとする姿勢が身についてきたように思う。
・物を持っていることのよし・あし
この、ミニマルに物を持つことは、装いについてもいい影響があった。
例えば、古びた装いを避けたいのなら、古くなったものを手放せばよいと思えたこと。古くなってしまった洋服をいつまでも持っているから、かえって着てしまう・着なきゃいけないような気になってしまうのだと気付くことができた。
着古したものはちゃんと感謝しつつお役御免にして、メンテナンスできる分だけを持つことにつながった。いつも新しくて清潔な服を着ていたいと思うようになったぼくにとって、とてもいい効果だった。
・生きるコストをなくしたい_身体面で
また、これは物理的なことだけではなくて、体が重いとか眠いとか、あるいはしんどいということもコストだと感じるようになって、よい体調を維持できるように睡眠や食事にも気を遣うようになった。
・自分の時間を持つことの大切さ_ちょっとでも好きだなと思ったら…
一方で、9月から翌年4月までで、のべ16か所の都内にある美術館に出かけて行った。
朝、お洗濯を干して掃除機をかけたら電車に乗って、お昼過ぎまでそれぞれの館内をじっくりと見て回ってランチして帰ってくる。そのうちに自分なりに好きな美術ジャンルが見つかって、それを中心に関心が向いたものを鑑賞しに行くようになった。
自分だけの時間を過ごしていくうちに、自分が興味のあることはどんなことか、あるいは逆に今まで好きだと思っていたけどもう手放していいと思えるものなど、関心を向けたいものの優先順位がなんとなく分かってきたようだった。
ぼんやりとしたものでもいいから好きだな・いいなと思ったことを実践してみると、その本質が自分の核心部分へと迫ってくるような感じがする。結果、これはいまの自分には不要だなとか、これはしっくりくるから続けていこう、なんて自分の本意を大切にしつつ決めていくことができる。
>>> 自分の時間を持つことの大切さ
12月くらいまで、体調にあわせて、気の向くままに過ごした。
繰り返しになるけど、そのなかでこれから自分がリソースを傾けていきたいことが段々と分かってきた。
今振り返れば、未完了のものを完了させたり、優先順位の低いものをごっそりと削除したりと、そんな時間だった。頭の中を占拠していた不要なものをキレイにできたところに新しい何かが入ってきたような感覚があった。
なんとなくでもいいから自分の好きなことに時間をかけること。
つまりは、きちんと自分の時間を持って自分自身に目を向けること。それらができたからこその成果だったと思う。
>>> ぼくの道は、前にも後ろにもないように思ったが…
高村光太郎の「道程」を思い出して、ぼくには後ろにも道ができていなかったように思えてとても虚しかったと書いた。
でも自分に目を向け続けてみると、すぐ横に家族がいることが、間違いなくぼくの宝物だと言えると分かった。これは当たり前のことではない、と。おくさんとの縁があってぼくと夫婦になると決意してくれて、子どもたちが生まれてきてくれて、みんなとここで生活を続けている。
これこそぼくの後ろに続いている道なんだな、、、感謝の気持ちでいっぱいだ。
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ここまで読んでくれてありがとうございます。
これからこんなふうに続けていこうと思っています。
よければお付き合いください。
・(1)はじめに
・(2)診断・休職まで
・(3)休職のはじまり:しんどいよりも、痛くて重い
・(4)休職のはじまり:感情・思考の記録と、仕事・職場への思い
・(5)休職のはじまり:ぼくの前にも後ろにも(この記事)
・(6)お仕事でのたくさんのコンフリクトたち
・(7)仕事とプライベートのコンフリクト、だけではなかった
・(8)休職期間中に学んだこと・発火したこと
・(9)最後に