日本の文脈/内田樹・中沢新一
日本が他の先進国に比べて遅れてるだとか、ガラパゴス化だとか騒がれているが、別にそれでもいいじゃないか。むしろ、自らを守るためにこの国は無意識の部分で辺境性を保っている気さえしてくる。
この本はそんな日本の辺境性を肯定しつつ、構造主義、ブリコラージュ、贈与、レヴィナスとユダヤ、ユダヤ的知性、原発と一神教…等あげればキリが無いほど様々なトピックについて語られている💐
私が興味をそそられたのは、日本はインターフェイス上での表現がとても得意で洗練しているという話だ。日本人は思想を能楽や茶道、華道といった芸道として表現した。芸道というのは論理的な構築物が作れないような場所で何かを作っているのだが、それはどんな場所かというと、生と死の境界、つまりインターフェイス上である🍵
日本がマンガやアニメで世界を魅了しているのもそのひとつだ。
そんな生と死の境界で表現しようとする日本の思考体系は生と死が一緒になっていて、生は死の中に、死は生のなかに、互いにひっそりぼんやりと入り込んでいる。例えば日本における屏風や浮世絵で描かれた「橋」は、橋の向こうが雲の中へ霞んでしまうようになっていて、あの世や他界へと続く通路のように描かれているものもあるように。🥢(これは箸)
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本書を通して私は日本が何を必死に守っているのか少しだけ見えたような気がした。それは空洞。
日本の構造は真ん中がすっぽり空いている、というのは、他の本でも目にしたことがある言葉だ。
東のどんづまりにある日本は、外部からやってくるものを選り分けずに一回全部取り入れ咀嚼するのが得意だ。そんな時、中身がぎっしりつまっていると構造が壊れてしまうから、中心は空にして、外からやってくるものをひたすら噛み砕いて落とし込む。だからといってそれが日本の土台になるわけでもなく、ただそれを繰り返すことが日本がとれる最大の文明受容の態度なのだと、内田氏は言う。
ボコっとあいた穴のような空洞があることで保たれる秩序があり、その空洞が入れ替え可能な中空として日本の構造の中で機能していくのかな🕳
「奄美大島の御嶽の神様は、名前も姿かたちもない。でも、その神様がいなくなったら一瞬たりとも話ができなくなる」
この言葉はまさに共同体に秩序をもたらす中空で、結局我々は日本の中空と呼ばれる空洞のような場所をそのまま守るために無意識に必死になっているのだろうか。でもその中空を守るために外側からカヴァーしていく日本独自の姿が外国の方から見るとスノッブに見えるのは、中沢氏も仰る通り、それは違う!と慌てて言いたくなってしまうよ😟
何かと何かの中間を行き来しながら均衡をとるスタイルは中空と長いこと共存しているからこその生き方だと思うし、だからこそ本来は曖昧なものをよしとできる空気感が日本にはある気がする。
なんだか"日本文化"と言って日々様々なものが紹介されるが、それはあくまで中空を守り固めるための周縁でもあるよなぁと思った。
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個人的に、中沢氏が言う"重農主義"の思想が素敵だと思った🌳
重農主義とは、人間の生産や経済の活動を自然の秩序のサイクルに合わせる考え方なのだそうだ。田舎の方に引っ越してからぼやっと近いことを考えていた私にこの考えはしっくりきたし、人間の世界に閉じこもるのではなく、天候や自然の状況など人がコントロールできない外の力が入ってくる状況で産業や経済、文化など色んなことを考える、"くくのち学舎"という場を創り出した中沢氏の話はやっぱりいつもおもしろい🤲ヨーロッパ人の自然観では自然は悪だそうで、森からは何がやってくるかわからないし海なんて何がいるかわからないという恐怖がずっとあったそう。(海辺のヴァカンスが流行り出したのは19世紀以降なのだそう)でもこの恐怖って日本にも近いものがあるよなぁと思う🌲妖怪やら霊的なものを敬いつつ長い間共生してきた日本人ってやっぱりおもしろい。我々はつい霊的なものと現実を乖離させがちだけどそれは違くて、霊的な世界があってこそのリアリティだよなと思う。古代日本人ってきっと想像以上に逞しいんだろうな。
私は、田んぼや山の緑や海に癒されたことは幾度とあるけど、田舎の風景を一方的にノスタルジーの対象とする見方があまり好きではない。畏るべきものかつそこから富をいただいてくるものだった自然は、いまや守るべきものとされ、"地球にやさしく"だなんて言われている🌏
元々自然のそばで暮らしている人達にとって自然は恵みをくれるもので大地に種を撒けば何十倍にもなって返してくれる、それは息をする資本でもある。「悪」である自然を「守るべきもの」へと転換するエコロジーの発想は記号的とも思えるし、そんなヨーロッパの環境思想を日本に持ってきて当てはめようとしても相容れないのは当然で、日本には日本人の自然観に基づいた環境思想が必要なのである🌿
自然のような、自分にはわからなくて未知で怖いものを下のレベル下げて保護する対象にする・または雑に扱うことで"怖くない"と反発した人間の軽率さは、原子力をビジネスにした我々日本人の軽率さそのものではないか。
なんか色々書いてたら訳わからなくなってきた🤦🏻♀️
ゴメンナサイ🤦🏻♀️
ちょうど9.11の日に読み終えた本書に、当時の9.11テロ事件が起きた当日のことが書かれていて、読むべくして読み終えた感じがした🤔
ユダヤ的知性を取り入れて日本的な知性を強固なものにしたいと話す中沢氏と、日本人に向いた知的パフォーマンスを高めるやり方を徹底して賢くなりたいと話す内田氏両者の、僅かに対比できる部分の橋渡しとしての我々読者がいるなぁと感じさせられる本であった🤲
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