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【企画参加】 #ひと色展 〜 歌謡エッセイ 『みかん色の恋』


今回は、こちらの企画に参加させていただきます。


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 私のパパりんは、私のことをよく「みかん」と呼んだ。小学生の頃はそう呼ばれるのが好きではなかったけれど、パパりんのことが好きだった。
 それは、むしろ恋していた、と言えるほどだった。それこそ『みかん色の恋』。何しろ私にとって、初めてのオトコな訳だから。ルックスが好きだった。ぴったり分けた黒髪、大きい耳、中でも黒縁の眼鏡が好きだった。細い腕にしてたセイコーの時計。すらっと細面で背が高い。駆け寄って行くと細い腕で抱き上げてくれるところも。
 オレンジ程酸っぱくなくて、小ぶりで片手に収まる小さくて甘い「みかん」。

 だけど昭和パパにはなかなか会えない。毎日帰りは遅く、何日も顔を見ない日も続いた。日本橋が勤務地だったパパりんは、恐らく仕事で早く家を出て、帰りは遅く、更に「お仕事上のお付き合い」がたくさんあったんだろう。その頃今でも私の本籍地のある練馬の団地に住んでいた。外人居住地だった大きな芝生が目の前にあった。そこで私はママりんと二人で過ごす時間が長かった。
 ママりんは洋裁学校を出て、家でお洋服を作るお仕事をしていたので、必然的にお家時間が長くなった。絵を描くのが好きだった私は、別にそれが退屈でもなく、ひとり自分の時間を楽しんでいたように思う。ママりんにはよく叱られた記憶があるけれど、そんな時には、パパりん、早く帰って来て。と心の中で囁いた。

 そんな頃妹が生まれた。私は初めてママりんから遠くなった。だけどパパりんとふたりっきりの数日間は、まさに長い逢瀬を待ち構えていた恋人のような気分で、パパりんを独占できた。パパりんの背中でほっぺたをすりすりしながら、匂いを感じていた。
 週一回の音楽教室にはいつも送り迎えをしてくれた。おやつに食べる歩道橋下の屋台のおでん屋。いつも私はハンペン一択。パパりんは何を食べていたかまで覚えていないけれど、たまに日本へ帰る今は、夏の暑いときにもおでんが食べたくなってしまう。

 幼稚園が終わる頃、パパりんの転勤が決まった。行き先は大阪だった。ママりんは、誰も知り合いのない、遠い土地へ行くのを躊躇した。
 けれども、きっと私の小学校入学を機に引っ越すことにしたらしい。一応両親は私のことを気遣って切りの良い時期を選んだに違いない。
 私が大阪へ行くまで、半年位、パパりんは一人で大阪へ行き、たまにしか帰って来なくなった。
 私はとても寂しかった。パパりんがお家に居ない。だけどたまに帰って来たときには、三歩後から付いて行く、嬉しいような、恥ずかしいような、不思議な気持ちでこの『みかん色の恋』を楽しんでいた。

 大阪での少女時代は、新しい土地で新しい言葉を習得し、みかん色と同じくらい活発に、そして好奇心旺盛に過ぎていった。
 そしてパパりんは毎週土曜になると、クールミントのガムを噛みながら、私と妹を連れて駅まで新聞を買いに行った。駅の売店でコーヒー牛乳を買ってくれた。初めてコーヒーの味を知り、ちょっぴりオトナになった気分だった。帰ってくると、ラジオのFMで洋楽ポップスを聴いた。
 東京出身の両親は、阪急電車に乗り京都へ足繁く通った。小さい頃の写真はその頃のものが多い。私はおかっぱ頭に、ママりんの作ったみかん色のワンピースを着ていた。

 小学校も最終学年になった頃、東京へ戻ることになった。私達はママりんの実家がある川越へ落ち着いた。
 私が中学生になると、元々お酒の好きだったパパりんは毎晩酔っ払って家に帰って来るようになった。その事でママりんは、パパりんを怒ったし、私もそんな様子を見ているのが好きではなかった。
 そんな事がほとんど毎日の様に続き、家にあるウイスキーが、あっという間になくなるのと同じ位の速さで、私はオトナになっていった。お酒ばかり飲んでいるパパりんに、もう『みかん色の恋』は感じていなかった。私は、絶対にお酒なんか飲まない、お酒を飲むオトコには近づきたくない、とさえ思った。

 その頃はもう、パパりんと話をすることもなく、避けるともなく距離を置くようになっていた。けれど、私の決めた道に反対することもなく、それに対し怒るわけでもなく、常に距離をおいてただ見守っているだけだった。

 今では飛行機に十二時間も乗らないと会えないような遠くに住んで、一年に一度か二度しか会わなくなった。パパりんの血を受け継いでいる私は、あれ程イヤだったお酒をザルのように飲むようになっていた。
 そして私も二人の娘を持った。その娘が大きくなるに連れ、パパりんのことを気にかけ、気持ちがわかるようになってきた。だんだんと『みかん色の恋』を思い出すように。

 今では実家に帰ると決まって、川越の地酒『鏡山』で盃を酌み交わす。お互いそれが一番嬉しいことだと知っているから。そしてお酒を呑みながら、おでん屋さんや、コーヒー牛乳なんかの、ママりんは知らないような、昔のことをよく話す。どれもこれも甘酸っぱくて、絞ればぎゅっと果汁が出て来るみたいに思い出が溢れる。幾ら違うオトコに恋していても、それが私の『みかん色の恋』。「みかん」と呼ばれていた頃の、忘れることはない、私とパパりんと昭和の1ページ。


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きゃわゆい「みかん色」のイラストに一目惚れ😍
私の「みかん色」を紹介させて頂きました。
イシノアサミさんの展覧会も楽しく、ステキなものになりますように😘

きゃうん🍊







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