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わたしは石を拾う。|#未来のためにできること

水の流れる景色が好きだ。
わたしの背丈にちょうどよい隙間を見つけてごろんと寝転がり、髪の毛に土のつぶを絡めながら、ぼうっと空を見上げていたい。


ああ、あの課題まだ出せてないな。大学、やっぱり忙しいな。なにを学びたいって思ってるんだっけ。同級生の多くが今年就職した。わたし、なにをして、どうやって、生きていくんだろう。

ぐるぐると巡る思考に疲れると、微睡みの時間が訪れる。
とくとくと刻む鼓動を感じて、わたしの身体の内側にも水は流れていると気づく。ではなぜ、わざわざ外に出向いて水の流れる景色を求めるのかと、どうでもいいことを考える。


ひとつ、何者かに持たされていたものを手放すと、わたしは起き上がって石を拾いにしゃがむ。
平均よりもきっと小さなわたしの手の中に収まり、握ると手を握り返してくれるような石。そんな石を探して、拾う。



固められ、砕け、運ばれ、削られてきた石には、遥かな時間の記憶が在る。
そして、その旅に全く関与していない独立なものは存在しない。石がこの場所に流れ着いたことも、わたしがこの場所を訪れたことも、なにかの影響を受けていて、その影響もまた、ほかのなにかから影響を受けた。


因果が絡み合う世界に生きることを怖いと思うときがある。
わたしは周りの環境になんらか左右されて生きている。同時に、常になにかを消費し、生み出し、生きている。そして、おそらく確実に、少なくとも間接的に誰かを苦しめる要因のひとつになっている。


怖くてなにもできない夜、そっと石を握る。
わたしが石を拾ったのか、石がわたしに拾わせたのか。どちらでもあるし、どちらでもない。それぞれが生きていた時間の波が交わって あの日わたしは石とともに帰り、今、わたしの手元に石が在る。


この世界が調和のとれた完璧なものだと思うから、その中に生きることを怖いと思うのだ。誰かにとっての悪をもたらす存在はすなわち悪であると、自分自身を苦しめる。


石はただそこに在る。
わたしたちは波を受け、波の一部となって、調和も不調和もなく揺らぐ果てしない世界の中に在る。

手元に在る石を 石たらしめた流水は、巡り巡ってわたしの家の水道から流れ出てきたかもしれないし、名前も顔も知らない君がかつて書いた文章が、わたしの心にひかりを灯しているかもしれない。



周りに在るものが持つ時間が溶け合うような感覚に任せて眠る。
そしてあくる日、わたしはまた石を拾う。


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