透明流星涙罪
星が見える夜に貴方が泣いていたら、なんて美しい夜だろう、と思う。人間はみな孤独で、それなのに誰もがそこから逃げたいと思ってしまう。昼間に感じた透明な孤独は夜になればもっと純度を増すだろうし、あまつさえあの星が嘘だって言ってしまうこともできる。
このままどこまでも行ってしまえたら、と何度思ったことだろう。本当はこのまま、の答えも、どこまでも、の先も、少したりともわかってはいないのに。だけれど、わかっていないからこそ、何度も何度もそう思えたのだ。
時間を共にする、ではなく、時間と共にする、ではないのか。誰とも一緒にはいないよ。洗面台に充満する柔軟剤の匂いも、雪見だいふくのような冬用の毛布の柔らかな色合いも、だって貴方は知らないのでしょう。記憶の降ってくるような日々の中、私たちは流れ星を、忘れゆく言葉と見間違う。それは誰も知らない、私たち人間の罪だ。
正しいが全てではないのに、正しいで世界が回ることがとてつもなく理不尽に思えているうちは、私もまだまだ生きている実感をどこかで感じられるのか、正しさで花が咲いたり、季節が巡ったりしても、その正しさで貴方が泣いてしまうならこれっぽっちも価値はないんだよ。偽善でも優しさのフリには少しくらい温度があるかもしれなくて、夕焼けのようなオレンジで金木犀の香りをさせているかもしれない。愛しているから世界が歪むこと、たまに苦しいこと、恋をしたらきっと誰もが知ることだって、信じているけれど、きっとそれも嘘だ。
貴方の優しさも寂しさも貴方にもらった救いも全部全部、罪なんだろう。