【視聴】ENIGMA PROJECT
前回初めて拝見させていただいた「ENIGMA PROJECT」。
今回のパフォーマンスのテーマは「穴」。いろいろな穴を想像するが、直近だとブラックホールの画像が記憶に新しい。しかも実は1978年にシミュレーションされていたイメージそのものであった、というのも驚きな内容であった。
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今回上映されたものはパフォーマンス全体がひとつの作品、という印象を強く受けた。とりわけエフェクトや時間の接合など、映像ならではの効果がところどころに散りばめられており、純粋な身体表現だけの作品という訳ではなく、身体表現に映像と音を同程度(むしろ少し強め)に強度を与えたショートムービーのような映像作品である印象を受けた。
ただし、これは私が小池氏という人物を知っており、小池氏を主軸に映像をみているからにほからない。もし、映像担当と知り合いであれば、映像全体を中心としてそこに身体的なパフォーマンスを取り込んだ、とみるであろう。
率直な疑問として、テーマを宣言した場合と宣言しない(or 最後に提示する)場合とでは、鑑賞者の見え方に違いが生じるような気がした。もちろん、こういうことを表現するのでみてほしい、という思いがあるのであれば、テーマをあらかじめ伝えておくことで鑑賞者はよりその世界観に入り込みやすくなるのは間違いない。
しかし拝見する限り、必ずしもそうであるようには感じられなかった。小池氏が「穴」をテーマとして選びそれを表現したことを超越し、新たな別の世界がみえたように思えたからだ。ともすれば、テーマというよりも作品のタイトル提示の方が、鑑賞者側の自由度を増やすのもアリ?と思いながら観ていた。
改めて、「パフォーマンス」とは何なのであろうか。
上記リンク先、美術用語集の部分から引用する。
狭くは1970年代以降の美術家による身体表現をいう。美術の情報的側面を純化するという意図からは、1960年代末に生まれたコンセプチュアル・アートと似た面を持っており、また、ヴィデオを用いることが多いことから、ヴィデオ・アートとも密接な関連をもっている。
パフォーマンスやパフォーマーなど、何かを「演じる」という言葉が持つイメージが先行してしまう点。また「ビデオ・アートとも密接に関連している」と挙げられていることからすると、「ビデオ・アート」主体で行うこともまた「パフォーマンス」である、といえなくもない。かつては「美術家による身体表現」が狭義で「パフォーマンス」と位置付けられていたものが、時代の流れとともに「パフォーマンス」が持つ意味も広義に渡っている。
現代アートとしての「パフォーマンス」だけではなく、そのほかにも様々な意味を持つ「パフォーマンス」。日本における「写真」と非常に似通っており、現代アートや広告、報道やアマチュアに至るまで、すべてが「写真」という言葉に収斂される。そこには明確な垣根が存在しないのだ。
次回の公演も楽しみにしています!