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マイメロ論

知ってる人には何いまごろ?なんて思われるかもしれないけど、昨日の投稿でちょっと触れたので、私なりの考察・解釈を書きたくなった。

多くの方は現実逃避術としてこのマイメロ論を認識されてるかと思われるんだけど、私はちょっと違った見方をしてる。

社会の中で生きてる以上、いろんな人間がいて自分とは絶対に合わない、関わりたくない人間は当然いる。
不条理や理不尽が溢れる世の中のさまざまな攻撃から、いかにして自分の心を守るか?
私にとって衝撃的なライフハックだったから。

マイメロ論?なにそれ?って方はこちらのブログに全文が掲載されておりますので、先にお読みいただけると全容がおわかりいただけるかと。

***

マイメロ論について自身の著書「風をたべる」でこう述べておられてる。

何か理不尽なことでイヤな思いをしたとき、「私マイメロでーす」って思って聞き流すという我流のライフハックのことなのだけど、そこには別人格を自分につくるという疑似多重人格化と、相手をとことんバカにするという技術が必要になってくるんです。

自分の嫌いに対して徹底的に反抗する。
嫌いなことに神経すり減らすより、楽しいことでそれを上書きしてしまおう。

だから、これは逃避術でもなんでもなくて、むしろ逆。
私の生き方を邪魔するなっていう宣戦布告なんだろうなぁって思うのね。

つまり、辛いからマイメロ論で現実から逃げるんじゃなくて、自分の好き(広い意味で)のテリトリーに侵略してくる奴らに対しての防衛策がマイメロ論。

逃げではなく攻めの姿勢だね。

もひとつ言うと、

相手をとことんバカにするという技術

自分が弱ってるときに相手をバカにすることは、そのまま恨みになってしまう。
そうでなくて、
相手は私にとって何のプラスにもならない、つまり無価値であり無視の対象。
そういう認識に持っていく技術だと思うんだわ。

また彼女は同著内でこうも述べておられる。

これは世の中に対する反抗なので、悪いなーって思うことを徹底的にするのが大切。

「私のほうが強いんだ、私のほうが幸せなんだよ」

そう自己暗示をかけて、

強い自分=本来の自分

を自認するために作り出された別人格が宇垣版マイメロなのかな。

気軽に使うもんじゃないってのは、そんな意味で彼女は警告なさってるのかなって思った。
でないとマイメロ論は使う人にとって諸刃の剣になりかねない。

自分を保つ方法をしっかり持っていて、自分の中を好きで埋め尽くすことが出来たなら、そんな素敵な生き方はないと思う。


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