本当に「言ってくれないとわからない」?〜垣谷美雨『定年オヤジ改造計画』2
すべての女性を敵にまわすセリフが満載の小説『定年オヤジ改造計画』を読んで考えたこと・続編です。
「言ってくれたらわかる」のは本当?
何年もの間、妻が自分のためだけに夕食を作ってくれていたことに気づかなかった主人公が、
「父さんは古いんじゃなくて間違っているんだよ」
と娘に言われるシーンがあります。
主人公の「当たり前」が、家族といかにズレているかが伝わってくるシーン。
「言ってくれたらわかる」と主人公は言いますが、実際のところは、「言ってもわからない」と私も思いました。
「妻が食事の準備をするのは当たり前」と考えている主人公には、自分の食事が準備されている限り「なにも問題はない」と認識されているのが、その証拠。
たとえ視界に入っていも、自分以外の家族がどういう状況にあるのかはまったく意識にのぼらないのでしょう。
妻が昔を振り返るシーンも、リアリティがありました。
妻はこうした経験から、「夫に何を言っても無駄だ」と考えたのかもしれません。
そんな妻に対して、主人公は「常に控えめで自分の意見を強く主張しない女だと思っていた」のです。
「言っても無駄」なら言わないほうがいい?
ここで、私は考えるのです。
言ってもわかってもらえない相手に対しては、「言わないほうがいい」のでしょうか?
かつての私は、そんなふうに考えていました。
どれほど「わかってほしい」と切望しても、毎回のように裏切られる。
裏切られると悲しくなる。
それなら、最初から希望を伝えるのはやめよう。
ですが、何も言わないでいると、状況は悪化するばかりでした。
「言ってもがっかりするだけだから、言わないでおこう」
頭ではそう考えていても、肚の底では納得していないからです。
自分が思った通りに相手が動かないたびに(何も伝えていないのですから、それが当然なのですが)、ネガティブな感情が沸き起こります。
私の場合は、「期待通りにいかずに悲しくなる」を繰り返すうちに、夫に対して強い怒りを感じるようになりました。
「夫は悪役、私は悲劇のヒロイン」という「認知が偏った世界」の誕生です。
夫だけが加害者なの?
『定年オヤジ改造計画』では、定年を機に主人公が家族と向き合うことを考えるようになりましたが、もっと早くに気づいていたら、妻が体調を崩すこともなかったでしょう。
とはいえ、現実世界では、「夫が加害者、妻が被害者」という単純なものではないと私は考えています。
妻のほうにも「夫は何もしてくれない」状況を放置することで、恩恵を受けていたはずなのです。
たとえば……
・自分の意見を強く主張しないことで、強い反対に合うことはない
・家計を自分でやりくりしていれば、夫に細かいことは言われない
・子どもたちが自分のことを頼ってくれる
など。
とはいえ、「非常識にもほどがある」と思わずにはいられないエピソードが満載のこの小説。
「主人公が定年するまで考えを改める機会がなかったのは、彼だけの責任ではない……よね」
読後にこうしてnoteを書くことで、ニュートラルに考えられるようになりました。
「自分は正しい」という傲慢さを手放す
ありえないセリフが次々に飛び出すおかげで、自分自身もまた、他の立場から見れば「ありえない!」言動をとっているのかも……と思いを馳せる機会になりました。
「私は正しい、あなたは間違っている」
という他責思考に陥りやすかった過去の傲慢な自分から、すっぱりさっぱり卒業することを、改めて誓います。
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「私が私である」ことの確信へ導く魔法使い
御影石 千夏
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