ジョーカー2とエヴァと地面師
『ジョーカー フォリ・ア・ドゥ』
前作『ジョーカー』は世界中でヒットし、ヴェネツィアでは金獅子賞、米アカデミーではホアキンが主演男優賞をとるなど、興行的にも芸術的にも高く評価された。
一方で、犯罪者であるジョーカーに共感を持たせる描写とヒーローとして美化する風潮は、社会に悪影響をもたらす恐れがあるとしてそこそこ警戒された。日本でもジョーカーのコスプレをした男による京王線での刺傷事件が記憶に新しい。
それを意識したかどうかはわからないが、今回のジョーカー2は1で描かれたジョーカーの行動を客観視し、監督のトッド・フィリップス自身も前作に対する落とし前を付けるというメタ的な手法をとっている。
そんな体裁をとるために選ばれたテーマが、「ミュージカル」と「法廷劇」だ。これが本作最大の特徴にして、賛否両論を生み出した最大の要因である。しかし、それらは何の脈絡もなく突然あらわれたものではない。「音楽」が好きだと語るジョーカー(アーサー)にとって自分を表現できるのがミュージカルだった。
犯罪ドラマに共感してよいのか
本作におけるミュージカルとは、「虚構」のことである。前作『ジョーカー』が『ヱヴァ序破』だとすれば、今作は『Qシン』だ。前作でアーサーに関わった者たちが次々と彼の「外側」を証言する。法廷はマイナス宇宙であり虚構に生きるジョーカーは裁かれる。
『地面師たち』の最後で池田エライザが「(あなたがやっていることは)仕事じゃないですよ、犯罪です」と言ったように、アーサーは弱者を救うヒーローでもエンターテイナーとしての憧れの対象でもない、ただの犯罪者なんだという辛辣なメッセージ(後味の悪さとしては旧劇エヴァなのかもしれない)。
ファンからすれば否の意見が圧倒的だろうことはよく理解できたが、個人的にはこういう続編もあっていいというか、そもそも続編を作るならばこういうものであるべきだとも感じた。