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もう今年が半分終わってしまったのか、というなんともいえない感情
6月30日、母と「ああああああ、今年も半分終わったああああああ!!!!」と叫んでいた。
でも叫んだあとに、ふと思った。
半年過ぎたから、なんなのだろう?
嬉しい! ではないし、悲しい! でもない。やば……何もしてない……でもない。目指すところに対する自分の進捗が相変わらず牛歩なことに焦ってはいるものの、牛歩でも前には進んでいる(と思っている)ので、そこまでやばいとは思っていないのかもしれない。
でも、強いて言うならば「1年、どんどん早くなってきていない?」ということだ。
以前見たドラマ『ブラッシュアップライフ』で、なぜ1年はこんなに早く感じるのだろうか、という内容があった。ドラマでは、歳を重ねるにつれて1年の相対的な長さが短くなるから」と言っていて「確かにそうか」と妙に納得してしまった。
でも「この半年、割と楽しかったから時間が過ぎるの早かったんじゃない?」とも、ふと思ったのだった。
学生時代は1年がすごく長くて、特に小学校と中学校は早く卒業したくてたまらなかった。楽しくなかったからだと思う。田舎で私の好んでいた娯楽が少なかったというのもあるだろうし、現在小中学校時代に仲良くしていた人で連絡を取り合っている人は一人もいないし、いじめられていたし、家にいる時間以外は何もかもが楽しくなかった。
でも今は楽しい。
失業手当の受給も先日終了し、「ライターでっす!!!」と胸を張って言える実績もないまま立派な無職に成り上がってしまった私だが、自分のやりたいことに向かってあれやこれやと牛歩スピードながらも進んでいるのは、割と楽しい。
楽しい、と言いながらも、実際には不誠実な対応をされることがこの半年間に数えきれないほどあって、その時は怒りで頭が沸騰したり、悲しさやら虚しいやらで割と落ち込んでしまったり(だいたい寝たら収まるけど)という日々ももちろんあった。最近も結構ある。
それもひっくるめて……と言えるほど私の心は広くないが、それでも楽しいと思えるのは、前から縁のある人や、ここ数ヵ月で新しく出会った人たちのあたたかい言葉のおかげなんだろうなぁと思う。
「大丈夫だよ」という優しい言葉だけじゃなくて、私の尻やら背中やらをドンッ! と蹴ったり叩いたりしてくれる人たちのおかげで、私は「っしゃオラ~~~!!! やるで~~~!!!」とずんずん進んでいけているのだと思う。なんならさっきも、とある先輩ライターさんに背中を押してもらったおかげで、今までうじうじ尻込みしていた事案を行動に移せた。メールの送信ボタンを押すときは「やーーーーーーー!!!!!」と、なかやまきんに君さながら、叫びながら押した。気合いだ。
私の2024年の上半期。
仕事の休職に始まり、2月に退職し、3月実家に出戻った。そこから4月末までは「何かやらねば」と思い簿記3級の通信講座に申し込んで教材が届いたものの、手を付けることなくひたすらスプラに励み、5月から少しずつ牛歩スピードで動き出した。クラウドソーシングで初めて仕事を受注したり、ライターコミュニティ(Webライターラボ)にも入った。
これからの下半期。
7月からは新しい講座も受講するし、8月には一度受けてみたかったライターさんの講座も始まる。来年からの留学のための準備(ビザ取得など諸々)も、そろそろ学校から資料が送られてくる(らしい)ので、やっていかないといけない。講座2つも受講するとか、受け身で仕事に繋がらんやないかい、と書きながら客観的に思ったのだが、私には策がある。いや、そんなにないのかもしれない……という気もしてきたが、私がなりたい方向には、しつこいけれど牛歩スピードながらも進んでいる。だから楽しい。だから大丈夫(だと思っているし、そう言い聞かせている)。
時間はたくさんある。だからあとは私がどう動くか、にかかっている。そう、自分次第なのである。
どうせ日々が過ぎていく体感スピードが早いなら「下半期も楽しかったなー!」と思えるように過ごしたい。
ということで、今からAIと英会話レッスンをしてきます。
今年が終わる頃には、英語ペラペラになれているかしらん。