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映画「PERFACT DAYS」と世界遺産・奥州平泉の浄土思想 ②

前回はこちら⬆️

Mさんの自宅のある仙台から車に同乗して東北自動車道を走ると、世界遺産の平泉の中尊寺までは1時間半くらいだった。駐車場に車を止め、いよいよ中尊寺の参道の坂道を歩きだす。

お陰様で天候は良好
月見坂を歩き始める
9月も下旬なのに汗ばむ陽気の中、坂を行く
東物見台
途中、見晴らしの良い景色も見える
杉並木は仙台藩が350年前に植林した

前の晩けっこう飲んだ65歳過ぎの男2人にとっては、息の切れる坂だ。しかし頑張って歩けばこの先に中尊寺の本堂があるはずだ。

せっかくの世界遺産、この中尊寺についてホームページを見てみた。特に目を引いたのは、奥州藤原氏初代清衡公の中尊寺建立の趣旨である。

清衡公の中尊寺建立の趣旨は、11世紀後半に東北地方で続いた戦乱(前九年・後三年合戦)で亡くなった生きとし生けるものの霊を敵味方の別なく慰め、「みちのく」といわれ辺境とされた東北地方に、仏国土(仏の教えによる平和な理想社会)を建設する、というものでした。それは戦乱で父や妻子を失い、骨肉の争いを余儀なくされた清衡公の非戦の決意でもありました。

上記の中尊寺ホームページより引用  
中尊寺本坊表門 階段の手すりは竹棹
中尊寺本堂
木彫りが迫力ある
本尊の釈迦如来坐像

しかし平和を築き4代続いた奥州藤原氏も時代の波に飲み込まれる。

平泉はおよそ100年近くにわたって繁栄し、みちのくは戦争のない「平泉の世紀」でした。しかし、平氏政権を倒した源義経が、兄頼朝と対立し平泉に落ちのびて間もなく、義経を保護した秀衡公が病死すると、四代泰衡公は頼朝の圧力に耐えかね義経を自害に追い込みます。その泰衡公も頼朝に攻められ、文治5年(1189)奥州藤原氏は滅亡したのです。
 鎌倉時代以降、大きな庇護者をうしなった中尊寺は次第に衰退し、建武4年(1337)の火災で惜しいことに多くの堂塔、宝物を焼失しました。しかし国宝建造物第1号の金色堂をはじめ、建築、絵画、書跡、工芸、彫刻、考古、民俗の各分野にわたる文化遺産が現在まで良好に伝えられ、東日本随一の平安仏教美術の宝庫と称されています。
 平成23年(2011)に中尊寺を含む「平泉の文化遺産」が世界文化遺産に登載されました。

上記の中尊寺ホームページより引用  

中尊寺の目玉は金色堂だが、内部は撮影禁止だったので、中尊寺ホームページから紹介する。

新しい覆堂の中に金色堂がある

金色堂は中尊寺創建当初の姿を今に伝える建造物で1124年(天治元年)、奥州藤原氏初代清衡公によって上棟されました。数ある中尊寺の堂塔の中でもとりわけ意匠が凝らされ、極楽浄土の有様を具体的に表現しようとした清衡公の切実な願いによって、往時の工芸技術が集約された御堂です。
 内外に金箔の押された「皆金色」と称される金色堂の内陣部分は、はるか南洋の海からシルクロードを渡ってもたらされた夜光貝を用いた螺鈿細工。そして象牙や宝石によって飾られています。須弥壇の中心の阿弥陀如来は両脇に観音勢至菩薩、六体の地蔵菩薩、持国天、増長天を従えておられ、他に例のない仏像構成となっております。
 この中尊寺を造営された初代清衡公をはじめとして、毛越寺を造営した二代基衡公、源義経を奥州に招きいれた三代秀衡公、そして四代泰衡公の亡骸は金色の棺に納められ、孔雀のあしらわれた須弥壇のなかに今も安置されております。
 仏教美術の円熟期とも称される平安時代末期、東北地方の二度にわたる大きな戦いで家族をなくし、後にその東北地方を治めた清衡公が、戦いで亡くなってしまった全ての人々、そして故なくして死んでしまったすべての生き物の御魂を極楽浄土に導き、この地方に平和をもたらすべく建立した中尊寺の堂塔が古の栄華を今に伝えます。

上記の中尊寺ホームページより引用

奥州藤原氏の4代の遺体が安置されている金色堂は確かに息を呑むような美の結晶だ。
しかし金色堂に至るまでの道すがらの渋い御堂も実に趣きがあった。

不動堂と地蔵菩薩
不動堂
開山天満宮
峯薬師堂
峯薬師堂 眼病に効くそうだ
旅連れのMさんは眼病の私に
お守りを買ってくれた ありがとう!
鐘楼
大日堂
金色堂入り口付近の地蔵菩薩
旧覆堂に向かう
紅葉には早かった
弁財天堂
弁財天堂
弁財天堂

金色堂の奥に進むと白山神社の能楽殿があった。奥州藤原氏は能を好んでいたという。
平安時代には寺と神社は共存していたのでしょうか?

白山神社の鳥居を望む
白山神社
白山神社 能楽殿
白山神社 能楽殿
大長寿院
大長寿院

奥州藤原氏の滅亡500年後、松尾芭蕉も平泉を訪れた。

「五月雨の ふり残してや 光堂」
金色堂を訪れ芭蕉が詠んだ句
松尾芭蕉の像


さて今夜の宿は、Mさんが昔泊まったという宿でした。車で向かい、暑かったので、とにかく温泉に入って、ビールが飲みたかった。

厳美渓温泉 いつくし園
客室からの眺め

我々が泊まった客室はかなり年季の入った部屋だったが、かつて昭和天皇が泊まったり、将棋の対局が行われた部屋だという。

羽生さん若い!
渡辺さんも若い!
「ご宿泊を賜る」
昭和レトロ①
昭和レトロ②
昭和レトロ③
昭和レトロ④
昭和レトロ⑤
昭和レトロ⑥
昭和レトロ⑦
昭和レトロ⑧
夕食 派手さはないが大変良い味付けでした
フカヒレ鍋で温まりました
岩乃井酒造 口当たり良すぎ!
酒も飲んだが、シュークリームも絶品でした

熱めの露天風呂に入ったら、あっという間に寝てしまった。
明日は平泉の別の世界遺産を巡ります。

今回そういえば、平泉と映画「PERFACT DAYS」との関係に全然触れてませんが、すみませんが次回から徐々にやっていきたいと思います。
よろしくお願いします。

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