セックス、ドラッグ、ロックンロール
「もう1回ODしたら病院を変わってもらいます。もう診ることはできないです。」
私が約2週間前に医者に言われた言葉だ。私は当時連日OD(オーバードーズ)を繰り返していて、1週間で100錠の薬を胃にザラザラと流し込んでいた。
「え〜、診てもらえなくなるのは困る、じゃあODやめます…」と言った私に医者はさらに、
「マッチングアプリも全部削除してください。これから毎日インストールし直してないか携帯チェックします。」と言った。
私がODを始めた頃と処女を失った時期はほぼ同時期で、それからというもの私はロックンローラーよろしくセックス、ドラッグ、ロックンロールな日々を送っていた。セックスもドラッグもハチャメチャで、私の人生において刺激を与えてくれる最低で最高の存在だった。
「ODは体に悪いけど、セックスは私がしたくてやってるし。」とずっと思っていた。でもODもやめて、マッチングアプリで異性と関わるのもやめたら、セックスもODと同じで結局私にとっては現実逃避のための自傷行為に過ぎなかったのだと思えた。
現実というのは、なんてつまらないものなんだろう。毎日同じ時間に起きて、朝ご飯を食べて、仕事をして、家事をして…判で押したような日々は息が詰まる。たまに友達と遊んだり、お笑いライブに出かけたりするけれど、楽しい時間は一瞬で過ぎ去り、帰りの電車に揺られているときまた私は1人の社会の歯車として戻っていく。所詮自分はone of themでしかないんだという気持ちに包まれると、どんどん自分がちっぽけで面白みのない退屈な存在に思えてくる。
そんなときODをしたりセックスをしたりすると、つまらない自分や自分の人生から一瞬だけ抜け出せたように思える。薬が魅せる摩訶不思議な幻覚や、セックスによる圧倒的な快楽は、つまらない日常を全く新しい色のペンキで塗り直してくれる。私は薬と性行為によって生み出される極彩色の世界にどっぷりハマっていて、依存していた。嫌なことがあれば薬を飲んで忘れたり、マッチングアプリで知り合った本名も知らない男の子と一夜を共にするのが当たり前になっていた。
体を捨てていたんだと今は思う。薬をたくさん飲んで体をボロボロに傷つけたり、知らない人と寝まくって心をボロボロに傷つけたりして、残る感情はいつも虚しさだった。心の空洞を一時の快楽でペタペタと埋めても、また一瞬にして崩れ去ってしまう。そうやっていくうちに心も体もどんどんボロボロになっていくけれど、私は薬と性行為以外に自分を満たす方法を知らないから、また同じことを繰り返してしまう。最悪のスパイラルだ。悪循環だとわかっていても私は、どれだけ自分が傷ついてもいいから、一瞬でもいいから、退屈な日常を滅茶苦茶にしてくれるものを求めていた。
ODもマッチングアプリもやめた私の人生は退屈だ。今の私の娯楽は、好きな芸人のラジオを聴いたり、YouTubeを観たり、本を読んだり、音楽を聴いたりすることだ。何の刺激もなくて、つまらなくて、心の奥底では今もなお以前の刺激を欲している。でも私は、欠伸が出るぐらい退屈だけど、このつまらないありきたりな人生を愛おしいと思いたい。当たり前の日常を愛おしいと思えたとき、私は病気や依存に打ち勝ったと言えるんだろう。