終末期の子どもと家族に寄り添おうとするとき これをやれば間違いないというマニュアルはなくて 絶対の正解もない それぞれみんな違うから 病気も状況もぜんぜん違うから型通りにはできない でも、不正解は間違いなくあって ぼくが日々やっていることは 不正解を選ばないようにすることだと思っている 絶対の不正解はこちら側の問題だからわかりやすい 子どもや家族に嘘をついてしまうとか 自分の価値判断を一方的に押し付けるとか 子どもの力を信じずに見切ってしまうとか そこに個別の不正解が加
自分をとても冷酷な人間なんじゃないかと思うことがよくある 終末期の子どもたちと家族に日々向き合って へこたれそうな日がないと言ったら嘘になるけど ・・・ いやあまりないのかもしれない しんどくても、ちゃんと回復して、飯を食い 毎日笑って、ときどき泣いて、ふつうに生きている しまいには人んちで歌っていたりする 本当に冷たい人間だというウワサはさておき そんな自分のきもちの置き方を因数分解してみたりして 強く意識していることに気づいたので言語化してみる ぼくは彼らのことを
激動の2020年も師走に入ってしまった 子どもの在宅医として小児がんの専門医として たくさんの医療的ケア児に加えておうちに帰って家族と過ごすことを選んだ小児がんの子どもと家族に関わらせてもらっている 自粛期間はおうちで療養する子どもと家族にとても残酷だった ささやかな楽しみや夢を叶えるチャンスが奪われたから おうちにお邪魔する一医療者として、その無力感の日々の中で なにかできないものだろうかと考えてきた ひとのせい、社会のせい、コロナのせい、それを一緒に嘆いて悲しむこと