たぶん、今がいちばん楽しい
引っ越し、転職をして早3か月。
同じ地方内の引っ越しであるとはいえ、やはり土地が違うとどきどきするし、話す言葉や人の性質にも戸惑うことは多い。
それがようやく慣れてきたかな、と思えるようになってきた。
引っ越しをしてようやくお気に入りの空間を作れるようになり、転職をして残業とストレスが圧倒的に少なったことで時間と心の余裕が生まれた。
おかげさまでそれなりに時間があって、好きなことを考えられる今が一番楽しい。
社会人になってから1日のほとんどを仕事が中心の生活を送っていた。これは単なる労働時間ではなくて、頭の中を支配している時間。
そうなっていたのは、仕事が楽しく選んでそうしていたわけではなくて、苦しくて離れられなくてそうなっていた。
よくよく思い返すと、「好きなこと一筋」で生きたことはあまりない。
学生のころから、割と勉強熱心で学業優先だったので、常にどこかで「勉強」という存在は頭の片隅にあった。
高校は大好きな部活動に注力すればするほど成績が伸びなくなってしまうことで両親と何度も喧嘩をしたし、大学は写真撮影が趣味でよく出かけていたがほとんどが参考書をリュックに詰め込み長い電車の時間を活用して課題や勉強に励んでいた。
それなりに強く好きなものはあったけど、それらは二の次で勉強勉強勉強。今思えば、勉強ができたってどうにもならないのに「学校」という小さな世界ではそれが正義で、それができなければ「あの子はできない子」というレッテルを貼られると思っていた。
それは社会に出てからも少なからずあって、そのコミュニティーでうまく生きられなければ、「終わる」。
だから、次の日うまく生きられるように帰ってからも今日あったことを反芻して、「明日こそはうまくやれますように」と願い、生きていた。
1日のほとんどを仕事のことを考える時間に充て、何も変わらない日常が「私にとって本当にやりたいことってなんだろう」と考えるきっかけになり、仕事に注力することがやりたいことではないことに気づいた。
心機一転、新たな場所で生活を送るようになり、時間と心に余裕が生まれたことによって、自分の「好きなこと」や「やりたいこと」にもう一度目を向けた。この情勢で気軽に友人と会うこともできないし、近くに知り合いは少ない。
それもあって、インターネットの中で好きを発信することが今の楽しみとなっている。
私の頭の中に留めておくのではなく、発信することで顔も知らない誰かにも「いいな」と思ってもらえることがとても嬉しく、InstagramやTwitter、このnoteとこれ以上もなくSNSを使用している状態だ。
仕事をしながらでも自分の好きなことに集中することができる時間を見つけられていること。
自分の好きを集めてそれを発信し、誰かの心躍るきっかけになること。
これらの楽しみを再認識して力を入れることができている今が、学生でなんの責任もないけれど常に何かに追われる片手間に好きなことをやっていたときよりも、ずっとずっと充実している。
きっと、中には時間がたくさんあって何者にでもなれる学生のときのほうが充実していた、という人もいると思う。
私は社会に出て働き小さな挫折をしたことで、本当にやりたいことに気づいた。そして、24時間のうち自分の時間は満足できる使い方に全振りすることが性に合っていた。
案外、社会人になったほうが、自分の可能性に気づくのかもしれない、そう思った。