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本よみ日記 淡くて濃くて近くて遠い

山崎ナオコーラさんの『美しい距離』を読み終えた。自分の年齢と改めて向き合うなか、図書館で目が合った。「闘病ものだから」と思い込まず、手にとって本当によかったと思う。


どれだけ長く一緒にいようとも違う人間に変わりはない、という当たり前のことが浮かんだ。がんになった妻の意思をできる限り尊重する夫の姿勢がよい。


病人だから、今までこうだったから、と決めつけず、先まわりしないように心がけること。普段の生活でもしていきたいが、先まわりがあって生活が回る事実もあり、生活というものをどう描いていきたいのか、時間を、人生をどう過ごしていきたいのか、じっくり考えることが大事そうだ。


私が若い時に働いていたパン屋で知り合い親しくなった人ががんで亡くなっている。自分と近い年齢の人の死は初めてで、全くもって受けとめることができなかった。私より近い、その人の家族やパン屋のオーナーをはじめとする友人たちがどのような気持ちであったか、読んでみてまた少し想像した。その時の私のとった行動や口にした言葉をできる限り思い出そうとした。


闘病ものに限らず、〇〇っぽい、きっとこんな感じだろうと今までの知っている物語に落とし込もうとするのは傲慢であったなと気づく。たとえ同じ結果になろうとも、ひとりひとりが違う物語のなかで日々暮らしている。


語り手である夫が出てくる人々を赤や青、ボーダーなど服の色や柄でよく捉えているのが印象的だった。読み終えたあと暗くならず、ほんのりと明るさを感じる理由のひとつかもしれない。



淡いのも濃いのも近いのも遠いのも、すべての関係が光っている。遠くても、関係さえあればいい。『美しい距離』

夫婦のように近くて濃い関係も、別れてしまった友人知人も、好きだった人も好きじゃなくなった人も、いい人も嫌な人も、なんとも思わない人も、人生のある時間を共にしたという関係がある。実際の距離や心が離れようとも、食べたり読んだり見たりと暮らすなかでふと思い出され、関係は動き、続いていく。

亡くなった妻を遠くに感じることを肯定する夫のこの言葉は、忘れたくない人を忘れてもよく、これから出会う人たちを怖がらなくていいと、そっと教えてくれる言葉になった。

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