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本よみ日記 いつまでもあたらしい
島田潤一郎さんの『古くてあたらしい仕事』を読んだ。島田さんが夏葉社という出版社を立ち上げ、誠実に仕事に向き合う年月が綴られている。
改めて「本を読むということ」を考えるきっかけになった。
本を読むにはある一定の時間が必要で、その時間を使って、著者の言葉のなかを、著者の文脈に沿って、書いてあることを考える。自分では見たことのない景色や行ったことのない土地を歩きながら、小さいときに泊まった山奥の小屋の細部をふと鮮やかに思い出す。
はじめて会う世界をとおして、違う角度から自分の暮らしに引き寄せ、考え、見つめ直している。読むことで自然とそれは行われていて、そのことに驚いたり、喜びをもらったりする。
気分を変えたい、この状況から抜け出したいという時も読書は頼りになって、それは店できれいな色のハンカチにうっとりしたり、いつもとは違うパンをトレーにのせることと似ている。
でもハンカチやパンと違うのは、時間をかければかけるほど遠くへ行けるような気がするところで、帰る頃には傷が少し癒えていたり、そういう考え方もあるのかと、受け入れずとも受け取れるように変わっていたりすることがある。
日々暮らすなかで、よろこびやかなしみを生み、どういう人間として生きていきたいかに繋がる「ことば」の力が大きすぎて、時々使い方がわからなくなる。なにげなく言ったひとことで身近な人を傷つけてしまうこともまだまだある。
人が書いているからか、いつだって本は人のようで、話しが合うのか、言葉使いは怖くないか、難しいことばかり言っていないか、事細かに、慎重に本を選んでいる。
だから、読み終わるのが惜しくなるほどの本に出会えた時はものすごく嬉しい。そういう本はいつ読んでもあたらしく、人でいうと親友のようだ。数少ない私の親友もいつ会ってもあたらしく感じる。
「好きな作家はだれですか?」「なにか復刊してほしい本はありますか?」島田さんは話が合いそうだなと思ったら、たまたま書店に来ていたお客さんに聞くこともあるらしい。
そのとき私はなんと答えるのか、自分でも楽しみである。