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やさしいせかい

本の中にでてきたものを食べる、買ってみる。今年のやりたいことが冬子にもひとつできた。

年末年始に読んだ江國香織『ひとりでカラカサさしてゆく』では、バッカスとラミーを買った。話のようにこっちは好きだけど、こっちはダメ、と言いたかったのに、どちらもおいしかった。甲乙つけがたい。

そうして売り場を見わたすと、お酒の入ったチョコレートがいくつもならんでいる。チョコレートの日がもうじきやってくる。冬子はウイスキーボンボンが気になりはじめていた。


今日は山をとおって長谷へいく。クリハラリスがせわしない。茶色いボールのような鳥の名前は忘れた。骨太な西欧らしき人とあいさつを交わす。ハイキングをする年配の団体は騒がしい。次に通るときのため、小さくてまだかたいつぼみを目に焼きつける。

力餅家は今日は休み。あんこは次でいい。砂浜を歩いていると、雲の切れまからひとすじの光がさし、波に反射する。うそのようだった。

階段をのぼった小さな本屋で関根愛さんの『やさしいせかい』を買う。店主のつややかな黒髪にみとれた。


わかりやすいやさしいと、わかりにくいやさしいがそこにはあった。やさしくしたかったのに、できなかったことを思いだす。

「受話器のむこうで」、「診察室で」、「このせかいで」が印象に残る。忘れてゆく過程をひとつひとつ手渡すこと。初めて行った病院の先生に真剣に怒られたこと。ためこんでいたため息が身体からでていく。もらったやさしさは、しずかに沸きつづける温泉のように、必要なときになんどでもあたためてくれる。


せかいはどのときも人の見方でできている。

『やさしいせかい』


言われたことやされたことが、かなしい、くやしい、つらいと感じたことを思いだす。あれはやさしさだったのでは。何年後かに見方が変わってやっと気づく。守れなかった口約束のことをあやまると、そうでしたっけ、ととぼけた顔がある。これもやさしさだった。

むかし、大雪の日に車で送るよと言われても、歩きたいからと断わった。むかし、勝手な理由で別れを告げた。自分にうそがつけなかった。やさしいとはなんだろう。自分を大事にすることは、人にやさしくすることにつながるというから、かんがえつづけたいと思う。


里芋、枝豆、トップスのケーキ。『やさしいせかい』にも食べものがたくさん出てきたが、まずは熱々の米だった。「受話器のむこうで」の人のように山盛りでかきこみたい。もうすぐ炊きあがる匂いにつつまれながら、冬子は飴色の土鍋を見つめていた。

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