わたしの輪郭
熱いお湯を浴びると、お湯が触れた部分の感覚によって自分がどんな形をしているのかが分かるので、お風呂に入るのが好き。
そういう理由で、小学生の頃から捨てられないミッフィー柄のオレンジ色のタオルケットに包まれている時間も好きだ。ザラザラしたタオル地が触れている間は、自分がちゃんと自分であると確かめることができる。わたしの範囲がここまでだと分かる。
何かに触れていないと自分がブラックホールの中に居るみたいで、どうしようもなく不安に襲われる時があるけれど、お風呂に入る瞬間とベッドに潜り込んでいるその時間だけは、確実に安全で心地の良いものだ。
だから、そんな理由で、クリープハイプの音楽を聴くことや、ライブを観ること、彼らの言葉を読むことがやめられないのだと思う。
初めてクリープハイプを知ったのは大学入学したての軽音サークルの新歓ライブ。先輩が組んでいたコピーバンド。耳から離れないメロディに釣られて、たまたま同期にクリープハイプ好きが居たこともあって、新しいもの好きのわたしはめりめりのめり込んでいった。
同期が貸してくれたCDを漁るように聞き入っていた時、わたしは気づいたのだった。
果たして、わたしはクリープハイプにもっと前に出会っていたのだ。
小さい田舎で、あまり娯楽もなかった小中学生の頃。休みの日は、暇さえあれば、実家で契約してあったケーブルテレビの音楽チャンネルを垂れ流しにしながら過ごしていた。流行りの音楽やK-POP特集、アイドル特集、今週の売り上げランキングとか。キラキラしたミュージックビデオが目に入るたび、わたしの目も心もキラキラして楽しかった。
中学校に入ると、ビジュアル系を熱心に追いかけていたわたしは、たまに流れるビジュアル系バンドのMV目当てにチャンネルを見るようになる。
思い出したその日も、ビジュアル系バンドを見るためにつけていたチャンネル。宿題をしてた手を止めて見入るくらいには衝撃的だった。
確実に今までに聴いたことのない、出会ったことのない存在。
中学生のわたしには、MVの意味も歌詞の意味も全然分からなかったけど、でも刺されてしまった時と同じような気持ちになった。(刺されたことは無いくせに)
と、いうことを、同期から借りたCDを聴きながら大学生の頃のわたしは思い出し、鳥肌を立てた。オレンジが始まる前の、ハッと息をする音を聞いて、たちまち鳥肌が立ったのだった。
あの時の、あれだ。記憶と記憶が繋がったときの爽快感が全身を包む。
鳥肌が立つと、ゾワゾワ、という感覚がわたしを包んでくれるので、自分の形が分かって良い。
その時が、初めての、クリープハイプに"わたしの形"を教わった日、だったと思う。
新曲のティザーの再生ボタンを押す瞬間、熱気に包まれてモワッとしているライブ会場、CDのパッケージを開ける時、インタビューやエッセイや本のページを捲る一瞬。
わたしってこういう風に生きているのだ、と、クリープハイプに触れるたびに思う。わたしにはこんな感情が隠れていたのだ、と、知らない自分に気づく。
いつでもその瞬間は安心安全で、自分の範囲がどれくらいか分かるので、胸を撫で下ろすことができる。胸を撫で下ろすとは、きっとこういうことなんだと思う。
いろんなことに迷っても、分からないことが増えても、クリープハイプが居る限りはきっと大丈夫。クリープハイプとわたし、の関係性があれば。なんていう感じで、クリープハイプに多大なる責任を押し付けても、たぶん、彼らならなんとかしてくれそう、なんて無責任に思うのだ。
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