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キツネのいるところ

古来より厄災をもたらす存在であった狐狸妖怪が、いつしか人間たちの生活に寄り添い、やがて親しみ深いものとしての地位を築いて久しい。水木しげるからアマビエまで気づくといつの間にかファンに囲まれているというその不可思議人気ポジションは確固たるものだ。新旧多種多様な妖怪・幻獣は興味深いものが多く飽きることがない。とくに狐狸妖怪の「狐狸」の方は幾つもの昔話や絵本、小説などに登場し大役を果たしてきた。キツネは絶世の美女や頭脳明晰なイケメンに化け、タヌキは愛嬌のある子供や腹の出たスケベオヤジと化し、人間にイタズラをしたり恩返しをしたりされたりといった具合だ。なかでも狐は信仰と縁深く彼らの言い伝えを持つ神社仏閣は全国各地にあることだろう。そんな狐の伝説が色濃く残る街のひとつに「王子」がある。王子はパンデミック騒ぎになる直前のちょうど一年ほどを労に費やした地だが、それまではどちらかというと馴染みの薄い場所だった。東から見ると両国・浅草あたりから隅田川を北上し、分岐した石神井川に沿っていくと参着する。西から見ると新宿・渋谷の明治通りを北上して突き当たる場所が王子だ。「北区」とはよくいったもんで要は東京23区の北にある。

音無川の上を走る都電、見事な桜で知られる飛鳥山と、なかなか風情のある街で心地よさ満点だ。ちょっと裏寂れた繁華街には古くからの名店も多く江戸蕎麦三大のれん「砂場」の鶏せいろを食す昼時を心底楽しんだものだ。

王子を「狐の街」に祭り上げた立役者である王子稲荷は関東の稲荷神社の総元締めとして鳴らしたそうだ。大晦日になるとあちこちの神社から狐たちが火を灯しながら親分の元へ挨拶参りをしたという民話が残る。

(※「広重TOKYO名所江戸百景」P257写メ)

あやかしの狐火を携えた狐の行列をひとめ見ようと大晦日の寒空に見物に訪れたという江戸っ子たち。なんとも風流というか酔狂というか、アンタら単にワイワイ集まって呑みたかっだけでしょう。愛しき酔っぱらいたちめ。

そして忘れちゃいけない「王子の狐」という古典落語の演目だ。この噺では人間の方が狐をだますという滑稽もの。美女に化けている狐に気づかぬ振りを決め込んで逆に騙そうとする男と、しめしめ丁度いいカモが来たぞとこの男を騙そうとする狐。双方が料亭で繰り広げるハラの探り合いが可笑しい。なかにはこの様を政治家への風刺として愉快に深読みする通人もおられるが、やはりなんといっても、狐をだました男が周りの者に「お稲荷さんの遣い姫になんて酷いことをしたのか!謝りにいけ!」と諌められ、反省した男が菓子折りを持ってすごすごと謝罪しに出かける終盤のシーンに断然の醍醐味を感じる。狐穴の外で遊んでいた子狐たちに尋ねると「おっかさんは昨日人間に騙されちゃって怪我して奥で寝てるよ」「あぁ・・・、それをやったのは俺なんだ。よく謝っといてくれ、ほんとに悪かったよ」というくだりが実にハートフルで微笑ましい。まるで意地悪をしてケンカしてしまった友達にゴメンねと謝るかのような自然な共生描写がたまらない。

ファンタジーはいつの時代も究極のエンターテイメントであり一瞬の脱力感や緩やかなものをもたらしてくれる。子供のころ「あたしの部屋には妖精がいるんだよ」と言っていた友達がいた。オトナになってからも「自分は鳥と会話ができる」と言う人に会ったこともある。

いいよね。それ。

科学的根拠ばかりをを突き詰めることは時として無粋だ。もちろん結論づけてナンボ、明確な根拠を示さないと成り立たない職種や業種もあるだろう。せめて日常の僅かな瞬間に心のワープが清涼剤ってなことでなんでもかんでも白黒ハッキリさせる、善悪だけで物事をブッタ斬る、右か左かマコトかウソか。。。こればっかりじゃどうにもかなわない。「わからないままでいい」というのもたまにはいいもんだ。謎は謎のまま、答えは風の中、想像にお任せしますってやつか。江戸っ子たちが戯言かもしれない狐の行列をひとめ見ようと酒を呑んで過ごした一夜はバカらしくもべらぼうに豊潤なひとときだったにちがいない。

男が狐を騙してタダ酒、タダ食いをしてちゃっかり卵焼きのお土産まで誂えた店、その舞台となったのが扇屋だ。

花柳界が盛んだった頃には大変な人気店で音無川の眺望を楽しませる店構えだったようだが残念ながら料亭は閉店し現在は卵焼きのテイクアウト販売のみとなっている。どれ、ひとつ買っていこうじゃないか、と思ったら店員さんが不在だ。まるで現れる気配がない。さては狐に化けかえって散歩にでも出かけたな。

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