布施と科学
文:Rin Tsuchiya
スペインは一般的にカトリックの国である。今でも熱心な信者も多いし、安息日とされる日曜日は皆仕事をしない。大手のスーパーだって日曜日は閉店しているところもある。
初めの頃は「今日なに食べよっかな〜」なんて能天気な気持ちでいたら、日曜であることをすっかり忘れていて困ったものだ。しぶしぶ鮮度の低い食品を扱っていることで有名なスーパーに駆け込んだこともあった。あの時買ったスイカは半分腐っていた。
日曜に働く人はもちろんいる。ただし、日曜というと教会でミサをやっている日、という感覚がある。クリスチャンは教会に行き、説法を聞いてお祈りをする。
ふつう教会に行くと祭壇がいくつかあり、そこにはキリストや聖人の像などがある。その目の前には、通常はこの記事のトップ画像のようにロウソクが備えられてメラメラと淡い光をこぼしている。
スペインの南のあたりをあてもなくさまよっていた頃、私はせめてスペインの生活を知ろうとよくミサに行っていた。他の信者たちから見たら、「また東洋人の観光客が冷やかしにきた」と思われたことだろう。
ある日ある街にて。私がミサを見るために教会に行くと、祭壇の目の前にガラスの箱が設置されていた。遠目からみると、チカチカ瞬いている。ああ、ここにもロウソクを備える台があるのだなと近づいてみると、その箱の脇に50セント(約60円)と書かれた縦穴がある。
これに50セント硬貨を入れると、なんとガラスの箱の中のロウソク風ライトにひとつ火を灯せるのだ。つまりお布施としての50セントだ。
「電気でいいの!!??」と、なんと省エネなお布施のあり方に驚いたものだ。地球に優しいエコお布施だ。火事の心配も、まあ、ロウソクに比べて少ない。めらめら瞬いていると思ったのは、そういう仕様にあつらえられた電球の仕事だった。日本の仏壇も最近は電球型のロウソクが増えているのに、なぜだかそこには「本物の火」があって当然だと思い込んでいた。
教会に集められるお金は、今やいろんな方法で動いている。ミサの途中に虫取りアミのようなものを伸ばしては寄付を募ることもあるし、今回のように電球に通電させることを通してお金を集めたりする。科学技術が、信者と教会との関係を部分的に取り持っている。
電球くらいなら可愛いもんだが、昨今、とあるアジアの国の寺院に行くと祭壇の前にQRコードが書かれているらしい。
ご想像の通り、QRコードをスマートフォンで読み取って金額を打ち込むと、現金すら動かさずにお布施ができてしまうというではないか!
めくるめく時代の流れを見てきたであろう神様だって、さぞびっくりするだろう。なにせコインが目の前に置かれもしないのに、熱くない火がロウソクに灯ったり、はたまた白黒の点を板状の機械で読み込んで立ち去る人が出てきたのだから。
お布施は人と教会(あるいは神、神格)とをつなぐ、最も一般的な形のひとつだ。日本人だって初詣に行けば5円玉を投げる。しかし、その間にどんどん科学というものが介入していき、他方で物質的な存在感(本物の火やコイン)がどんどん遠景に退いて行く。
人と神様とをつなぐものは、これから先どのような形になってゆくのだろうか。