<残したいと思える素敵な出来事 vs 人生に対する不充足感>
自分に”揺らぎ”を感じると自分のnoteが読みたくなる。
どんな時も、自分が生きていたんだなと感じられるみたいで。
赤ちゃんとの生活は、自分を見つめる時間も取れず、ましてや産後脳でそこまで言語化して考えることもできず、、
そんなこんなで読み返していたのは
なんと4年前の下書きです。笑
子どももいないし、結婚もしていない頃。
若かりし頃に、幸せについて考えていたらしい。
今の娘との生活が幸せに満ち溢れているのは大前提として
モヤモヤもいろんな場面で散りばめられているのもウソじゃない。
そんな今の自分の状況を肯定的に捉えられる気がしたんです。これも“豊かな経験”だ、って。
推敲せずにそのまま投稿しーちゃおっと!
眠いってのもあるんだけどね、ではでは。
愛を込めて。
読んでくださる人へ、
また読みに帰ってくる自分自身へ
『幸せな人生、踏みしめて行けよーっ!』
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下記
タイトルもそのまま当時の思い付きのものを。
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徒然なるままに。本当になんでもない日記。
ただいま午前11時前。
ちょうどブランチの時間帯だけれど、朝ってどうして日記が書きたくなるのだろう。
まだまだ1日は始まったばかりなのに、その中に残したいと思える出来事があることは幸せだ。
だから、休みの日こそ早起きがしたくなるのだろう。
せかせかした時間の勿体無さではなく、ただただ素敵な出来事を取りこぼしたくない。
など言いながらも、昨晩は「明日の朝は活動的になれないだろうな」と思っていた。
というのも、ここ数日、生理と梅雨入りが被ったからか、とにかく疲れを感じていたからだ。
私はルーティン的に恋人の家に泊まりに行く。
どちらかといえば朝型の私と、夜型の彼。
朝(ほぼ昼)、スースーと寝息を立てる彼に愛おしさを感じる時もあれば、そろそろ起きようよ!共に過ごせる時間なんだから!と悶々とする時もある。
いかに自分勝手か思い知らされるが、数日前は「いつも遅起きばっかり!」と拗ね散らかした私が、昨晩は「明日は休みだから遅くまで寝ておこう」と心に決めていた。
やっぱり、疲れている時は寝るに限る。心ゆくまで眠りたい。
その気持ちが改めてよく分かった。それに加えて彼は遅くまで仕事をしているもの。
またわがままばっかりになってしまった、と反省した夜だった。
話が二転三転するが、でも今朝は結局早起きをした。
いつもより早い06:45のアラームで起きて、出勤する父のお弁当を作る(それも義務的ではなく自主的に)、
久しぶりにワイルドテイストな服装に身を包み、帽子で寝癖をごまかして、雨が降る前にと駅まで愛犬の散歩をする、
駅で父を見送ったら少し遠回りをして、時折わんこを撫でながら家まで帰った。
遅くまで寝ておこう、からどんな気持ちの変化があったのか。
まぁシンプルに、生理も4日目が過ぎ、体調が元に戻ってきたし、
ひとつひとつをこなすことが、自分の自己肯定感というか、満足感に繋がると無意識に選択していた部分もあるだろう。
でもそれって、
なんだか逆説的に、日々の生活の不充足感を、休みの日の早起きで補っているようにも感じられる。
今の私は自分の人生に充足感を感じていないのだろうか。
< 残したいと思える素敵な出来事 vs 人生に対する不充足感 >
冒頭とは打って変わって思考の渦にはまってしまっているが、
この矛盾が <今のありのままの私> なんだろう。
“残したい”とは言ったが、それほど大きな出来事ではない。
“素敵”とは言ったが、何か光り輝く様な出来事でもない。
例えば、家を出た時の空気が心地良いだとか、服やメイクがうまくいったとか、家族や恋人との楽しい会話や、勤め先でのふとした出来事だとか、
そんな覚えておく必要もない日常の1シーンが、どうにもこうにも素敵に尊く感じてしまうのだ。
それが人生の醍醐味だとも思っているし、小さなことで簡単に幸せになれてしまう自分を少し誇りに思ってさえいる。
それに対して、それに対してだ。
にも関わらず、人生を大きく見た時の充足感を考えてしまう。
今回のnoteは思考の流れるままに書き進めているから、特に答えがある訳ではないんだけど。
なんだかなぁ、
人生ってひとつひとつの積み重ねであるはずなのに、振り返った時に簡単に思い出されるのは大きな出来事が多い。
なんなんだこのパラドックス。
一瞬一瞬の幸せと、人生の幸せってまた違うものなのだろうか。
人生には幸せ軸がいくつもあって、それぞれのボルテージの高まり具合によって幸せ度も変化してくるのだろうか。
自分の、見て見ぬ振りをしている幸せ軸は一体なんなんだろうか。
それが埋まると人生に対する満足度も上がるのだろうか。
人生ってなんだ、幸せってなんだ。
(余談:
満足、より充足の方がやはりしっくりくるのだけれど。ということで意味の違いを調べると、「満足」は上限が決まっていて、「充足」には上限の概念が無いらしい。人生に充足を使いたくなるあたり、いかにも人生って感じ。)
〜
少しだけ調べてみた。
「人生のパラドックス」と検索するだけで色々と見えて面白かった。皆様も是非。
その中でも多く見られたのは、【幸福感にネガティブは欠かせない】ということ。
また、たまたま行き着いた「つまらない」という言葉も深掘りすると面白い。
見受けられた語源は2つあって、
❶物事の行き着く最終的結果「つまり」が無い。
❷滞るなどの「詰まり」が無い。
これを人生にあてはめると、
❶「つまり」の前のストーリーが無い、とつまらない人生になる
❷「詰まり」の文字通り詰まる所が無い、とつまらない人生になる
ということになる。
なるほど、
大小関わらず、身の回りの世界に溢れているポジティブなものを見つけては幸せを感じていたけれど、今の私にはストーリーも詰まりも足りていないのかもしれない。
うん、多分そうだ。見て見ぬ振りをしている正体はこれか。
つまらない人生、決して悪くは無いと思うんだけどな。
ああ、人生ってなんだ、幸せってなんなんだ。
分かったようで分からない。
25歳、いわゆる大人の緩やかな入り口を渡り歩いている真っ最中。
人生に対する自信のなさとは裏腹に、日々が幸せであることは事実で、
これまた小さな出来事を宝物のように大事にしていきたいというのも、
心から思っている。
〜
日記から思考に逸れていったけれど、今日の幸せもせっかくだから残しておきたい。ここからは本当の本当にただの日記。これから記事に展開していくものもあるかもしれない。それぐらい大切なことも潜んでいる、いわば、私用の幸せメモ。
最後の〜おまけ〜も是非ご覧くださいね、
・家に帰ってから、最近荒れ気味だった部屋を一気に掃除してスッキリしたこと。
・良い香りのスプレーをプシュとして心が躍ったこと。
・普段はお腹を壊すから飲まないコーヒーを、ココナッツオイル入りで飲んだこと。(でもやっぱりお腹は壊した笑)
・電話越しに恋人から、今日の服装を「明るい気分だね」と言って貰えたこと。(事実、そう言ってもらえたから、色々と活動的になった)
・眉毛を整えたこと。爪を切ったこと。朝のスキンケアに力を入れたこと。(これもそこまでのストーリーがあって、だから幸せ度が増し増しになったのです)
・恋人からお気に入りのキャラクターのLINEスタンプのプレゼントがあったこと。
・おばあちゃんと電話で20分話したこと。(こんなに長いことお話ししたのは初めて!認知症のテストで全然問題なかったことが嬉しかったらしい、良かった。)
などなど
ここまで読んで下さった方、思考の長旅、お付き合いありがとうございました。
幸せって一体なんでしょう、人生ってなんなんでしょう。
やっぱり分からないけれど、皆様のご多幸をお祈り申し上げます。