大人になったなあと思う瞬間
最近、ふと「大人になったなあ」と思うときがあります。
たとえば、スーパーに柿が並び始めたのを見て、秋の訪れを感じたとき。
かぼちゃが美味しい季節になってきたから、かぼちゃの煮物をつくって食べてみたとき。
秋らしいオレンジのお花を買って、デスクの横に飾ってみたとき。
ーーそう、季節の移ろいを感じることと、季節の物を手に取ってみたりすること。
そうして、「なんだか前より季節を楽しむようになったな」と気づいた時、「大人になったなあ」と私は感じます。
前までは季節の移ろいといえば、服が半袖から長袖に変わったり、「秋だからちょっとアッシュっぽい髪色にしようかな〜」とか、「テラコッタ色のリップほしいな〜」とか、そんなものでした。
そういう意味で言うと、最近は“娯楽”全般に対する良さや、人間にとって娯楽という存在がいかに必要かということに、少しずつ気づき始めているなあとも思います。
今まで私は、娯楽って“非生産的”なものだと思っていました。
なんかすごい冷たい人間みたいですよね(笑)。
わかりやすく言うと、小説よりも自己研鑽本が好きだったんです。まあそれは今も変わってないかもしれない。
“楽しむ”ことよりも、“何かを身につける”とか“自分を伸ばす”ことにずっと重点を置いてきました。
なんだか、生き急ぎ過ぎていたのかもしれません。
だけど本当は、たまにする寄り道とか、何の生産性もない時間というのは必要に応じて必要で、
むしろ前に進み続けるためには、ずっとまっすぐに道を進んでいくよりも、時々寄り道をしながら歩んでいったほうが、意外と早く前に進めたりするような気がする。
なんか自炊をする意味とかを考えるときも、結局こういうことのような気がします。
生産性や効率だけを考えると、「時間や手間をお金で買う」という付加価値がスーパーで買うお惣菜にはあるけれど、
食材を買って、レシピを調べて、煮たり焼いたりして、やっとできた料理を口にした時のおいしさ。
それは、スーパーで買うお惣菜からはきっと味わうことができないおいしさなのだと思います。
もちろん生産的であることや効率的であることを100%否定するわけではなく、むしろそれが必要となる場面は多々あります。
しかし忘れてはいけないのは、心の豊かさは、非生産的で非効率な営みのなかからこそ得られるものなのかもしれない、ということです。
完全栄養食とか宅配食とか、生産的であることや効率的であることが付加価値となりやすい現代だからこそ、娯楽を通して心を癒し、豊かにすることの重要性を忘れないでいたいです。