#1 人間は偶発的衝突なしには変われない ―人間変容のメカニズム①―
意味のないしるしも、主体に働きかけることで何らかの意味を獲得することがある。正月もそのしるしのひとつである。本来は区切りのない時間に、正月というしるしが新年という区切りを強制的に与える。このことは、多くの人にとって、新しい年を昨年までとは違うものにしたいと願い、自分を変えようと決意する機会となる。
しかし、この自分を変えるとは、どういうことなのだろうか。どういうメカニズムで人は変わるのだろうか。そのためには、結局のところ何をすればよいのだろうか。
このテーマにおいてよく引用されるのが、高名な経営コンサルタント・大前研一の言葉である。
人間が変わる方法は三つしかない。
一つは時間配分を変える、二番目は住む場所を変える、三番目は付き合う人を変える、この三つの方法でしか人間は変わらない。
もっとも無意味なのは「決意を新たにする」ことだ。かつて決意して何か変わっただろうか。行動を変えない限り、決意だけでは何も変わらない。
この言葉は、「決意を新たにすることは意味がなく、自分を変えるためには行動が必要だ」という文脈での引用が多いように思える。しかし、改めて大前の文章をよく読むと、「行動を変えない限り、決意だけでは何も変わらない。」と書かれており、人間が変わるために、決意は十分条件ではないが、必要条件であるとは述べているようにみえる。
実際、決意は人間が変わるためには必要不可欠だ。例えば、住む場所を変えるとき。当然、朝起きたら住む場所が変わっているということはなく、最終的に住む場所が変わるまでに多くのステップがある。そのステップを進めるためには、まずは「住む場所を変えよう」と決意を新たにした上で、行動しなければならない。
それでは、その決意はどこから生まれてくるのか。自身の内部から自然発生的に湧き上がるようにおもえる決意だが、必ずその契機となる出来事があり、それは、外部との偶発的衝突である。偶発的衝突は、衝突された人間の日常の配置に外圧を加えることで崩壊を引き起こし、連続的日常に強制的に非日常を挿入することになる。そして、その崩壊と非日常の挿入によって、人は決意をする。
先ほどの住む場所を変えるケースを考えてみる。住む場所を変えなければならないのはなぜか。それは、家賃の値上がりかもしれないし、転勤かもしれない。これらは明らかに外圧である。もしかすると、Uターンして地元に貢献したいという気持ちで引っ越したのかもしれない。これは一見、自らの内から出てきた決意によるもののようにみえるが、そもそも「Uターンして地元に貢献したい」という気持ちの裏には、幼少期の経験や都会の現実といった、何らかの外圧があるはずだ。
このように、人の決意の裏側には、必ず何らかの偶発的衝突が潜んでおり、それによって人は決意する。つまり、人が変わるためには決意が必要であり、決意には偶発的衝突が必要である。では、その偶発的衝突は、どのように引き起こすことができるのだろうか。そもそも、人間が主体的に引き起こすことができるものであろうか。
まず、そもそも偶発的衝突は、自らのコントロールできない外部を必要とするものであり、それ自体を人間が引き起こそうとする試みは徒労に終わる。しかし、自らに偶発的衝突が起きる可能性が高まるように振る舞うことはできる。つまり、偶発的衝突を起こすことはできないが、「偶発的衝突が起こりそうなところに行く」こと、「偶発的衝突の萌芽を掴む」ことはできる。次回は、これらの、自らに偶発的衝突が起きる可能性を高める2つの方法について、詳らかにみていきたい。
(つづく)