誰にも届かない「好き」を抱えて
あの頃に戻りたいと、きっと誰しも願う瞬間があるだろう。私にも、戻りたい過去がある。
もし願いが叶うなら、少し前に付き合っていた恋人の家で過ごした、やさしく流れていく甘やかな時間に戻りたい。ふと余白の時間が訪れたとき、まざまざと2年前の冬の出来事が浮かび上がってくる。
小さなワンルームだった。
線路沿いにある、何十年も前に建てられたアパートで、壁は薄く、窓にはうっすらとひびが入っている。すぐ近くを電車が走るたびに、ガタガタと床が揺れた。
隣に住んでいる女の子の声や、蛇口を捻る音、アラームの音が微かに聞こえてくることもあり、そんな生活音が静まり返った恋人の部屋に届いたときには、くすくすと冗談めかして笑い合った。
紺のカーテン、シーツ、バスタオルと、すっと頭が冴えるような濃い青の色彩で揃えられている室内は、それとなく冷静さを取り戻させる。足を踏み入れると、ふんわりと恋人の匂いに包まれた。石鹸のように清潔で、少し煙った心地いい匂い。恋人の存在を示しているようなその匂いが、だいすきだった。
あの小さなワンルームで、私は多くのことを学んだ。
玉葱をこれでもかというほど入れた、栄養価の高そうなカレーの作り方とか、ずらりと並ぶスコッチウイスキーの風味の違い、つんと鼻をつく病的なカリラの香り、ドライヤーで髪を中途半端に乾かしてくれる、ぎこちないやさしさ、頭をくっつけながら映画を見るときの、わくわくするような楽しさと安心感、
好きな人と一緒に眠ることはこの上なく胸が満たされること、誰かと両想いになれたときの充足感、いつでも、どんな状態であっても、当然のように受け止めてくれるような無条件なやさしさ、人と人が溶け合ってひとつになれることはなく、永久に隔てられていること。
視線がぶつかって、擽ったくて、いじらしくて、幸せな時間だった。
お互いを想う感情が死に絶えてしまったなんて、嘘みたいに。
朝は、始発を知らせる踏切の警報音と、すぐそばを走り抜ける電車の激動、名前も知らない鳥が澄んだ空に響かせる鳴き声で、ゆっくりと目を覚ます。
夜明けの闇にようやく目が慣れて、ぼんやりと部屋の輪郭が掴めるようになってくると、やわらかい朝の光がカーテンの隙間から漏れて、ぱっと部屋の中が明るくなる。はるか遠くからは、学校に着いたばかりの子どもたちが「おはようございます」と告げる、快活で朗らかな挨拶が聞こえてきて、私は恋人の腕の中でうとうととしながら、ゆるやかな朝の訪れを感じる。
特別で、あたたかくて、少し寒くて、びっくりするほど喉が乾燥する、そんな朝が懐かしい。今ではもう、どれだけ手を伸ばしても届かない。どこまでも遠くて、儚くて、反芻するたびに泣いてしまいそうになる。
もう二度と戻れない日々のこと、切なくなっても、千切れそうになってもいい。幸せだったと思える瞬間が、ほんの少しでも存在するのならそれでいい。いつか忘れてしまうその日まで、記憶だけは永遠だ。
今は立ち入ることすら許されなくなった、あのワンルームを愛おしく思う。
追記 もう二度と、お目にかかりません。