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本音を言えなかった子どもが大人になって、癇癪持ちな子を育てたら


子どもの頃、
お母さんに怒られるのがこわくて、
言いたいことが言えなかった。


当時わりとめずらしかった共働きで、
実父のギャンブルのための借金返済と
家計を支えるために
働きながら、家事も子育てもこなす母を
困らせてはいけない、
笑っていてほしい、
そう思って、気持ちを飲み込んだ。


鍵っ子にもなれなかった
幼稚園時代、
仕事に向かう母を前に
行き渋りなんてしたこともないし、

園が終わってから、
母の仕事が終わるまでは
いつもお友達のお家で預かってもらっていた。

4人兄弟の友達のおうち、
「1人くらい増えても大丈夫よ〜」と
今思えば感謝しかないのだけど、

お友達のみんなが
迎えにきてくれたお母さんと一緒に
手を繋いで帰っていく中、
本当はいつも寂しかった。

毎日友達と遊べて、楽しそう!
とも思える環境だけど、
毎日一緒にいればいるほどに
人は鬱陶しくなったり、
嫌なところが目についたりするもので

よく兄弟や遊びにきたお友達含め
仲間外れにされたり、意地悪もされた。

でも「わたしは置いてもらってる」
「母の仕事の邪魔をしちゃいけない」
そう思うと何も言えなかった。

そんな子どもだった。


ある日、母と実父が喧嘩をして、
母が「もう死んでやる‥!」と
包丁を振り回したことがあった。

わたしはただ、ただ、こわかった。

「だいすきなお母さんが目の前で
死んでしまうかもしれない、
誰か助けて‥!」

心の中で叫んだけれど、
誰も助けてくれなかった。

目の前の実父も、
喧嘩中だから止めなかったのか
びっくりして動けなかったのか
もう覚えてないけど、
助けてくれた記憶はない。

決死の思いで、刃物を持つ母に近づき
「何でそんなことするの!!!
お母さんが死んだら嫌だ!!!!
やめてよ!!!!!!」
泣きながらそう叫んだ。必死だった。
わたしがなんとかしなきゃ、
それしかなかった。

当時6歳、かな。
そんな子どもだった。


小学2年生、学校からの帰り道
変質者から性被害にあった。

母には「知らないおじさんと遊んだ」と話した。
身体を触られたことは言えなかった。

怒られる、悲しませるかも、と感じたから。

母に連れられ警察に行った。
そこでも、遊んだだけと嘘をついた。

「次に犯人がきたら
この子はこの世にいませんよ」
母はそんなふうなことを言われたらしい。

数日後、犯人は逮捕され
小児愛者の常習犯だったことがわかった。

あのとき
心配させたくないからと嘘をついた自分を
10年以上経って、大人になっても
ずっと許せなかった。

そんな子どもだった。



そんなわたしが大人になって、
26歳で母になった。

生まれた娘は、好奇心旺盛で、
自我の芽生えは早いのに
言葉がなかなか出ない

意志はあるのに伝わらなくて
よく泣き、ひっくり返って、わめいては
癇癪を起こす子だった。

そんな娘にイライラしては
怒ったあとで「またやってしまった‥」
と落ち込んで、
「わたしなんかに育てられて
どんな大人になるんだろう」と不安になる、
そんな日々の繰り返しだった。


指差しや発語の遅れにあいまって
癇癪の激しさ、
「お母さん大変でしょう」と
保健師さんに勧められ、
2歳すぎから療育に通い始めた。

2つめに通った療育では
親向けに勉強会があって、

「癇癪を起こしている間は
お母さんもつらいけど、
本人がいちばん苦しんでいます」

と言われて、はっとして、
癇癪中も穏やかに見守ろうと心に決めた。


そんなタイミングで、
また大きな癇癪があったとき
「穏やかに見守ろう、見守ろう」と
自分に言い聞かせていると

ふいに身体の奥底から

「わたしはこんなふうに
受け入れてもらえたことなんて
なかったのに‥!」

そんな声が聞こえた。

泣いてるみたいな、怒っているみたいな、
叫んでいるみたいな、そんな声。

それがわたしと
インナーチャイルドとの出会い、
本気で「自分と向き合う」きっかけだった。


ちょうどその頃、
娘にくどくどと怒ってしまうわたしに
「もういいんじゃない?」という夫に

「あなたが娘の味方をしたら
わたしの味方はどこにいるの?
わたしをわかってくれる人なんて誰もいない」

そう言って泣いたこともあった。


「誰にもわかってもらえない」

子どもの頃からずっと抱え続けた気持ちだった。


そんなことを繰り返すうちに
この気持ち(しんどさ)は
夫のせいでもなく、娘のせいでもなくて、
わたしの中に向き合わなきゃいけない
何かがあるんだ、と思うようになった。

本当はずっと前から、
心のどこかで気付いていたけど
向き合うのが怖くて、逃げていた気もする。

そんな気持ちを認めたら
少しだけほっとした感覚もあった。


そこからzoomでカウンセリングを受けたり、
人生の棚卸しをしたり、
新しい環境に飛び込んで、
素敵な出会いに恵まれたり、
学ぶことで知識を得たり
とにかくあれこれ向き合い、格闘するうちに


少しずつ、少しずつ、
自分に合った環境を見つけてからは
わりと爆速で、自分や家族との関係に
変化を感じ始めた。


そうして10代の頃から
「自己肯定感なんて、低いどころか皆無」
と思っていたわたしでも、
「自己肯定感」なんて言葉も、
高いとか低いとかそんな感覚も
まったく気にならなくなるくらいには
自分を信頼できるようになって、

夫が本当は
いつでも味方でいてくれたことに気がついて
安心できて、なんでも話せる存在になった。

子育てでもあまりあれこれ悩まなくなった。
「わたしだって、どうにか生きてきたんだから」
と思えたら、
心配より信頼で見守れるようになったし、
「子どもをどうにかしよう」っていう感覚もなくなった。


そうすると、不思議なことに
娘の癇癪もかなり落ち着いてきた。

(気持ちを言葉にして伝えるのが苦手という
特性があるので、今も0ではないんだけど)


そんな今思うことは
娘は「わたしがわたしのままで生きていい」
ということを教えてくれた存在だったということ。


娘は素直で、うれしいことはうれしいし、
ほしいものはほしい、いやなものはいや。
癇癪だって、その表現のひとつ、ただそれだけ。

そこに「わたしを否定してくる」と
余計な解釈をして、腹を立てていたのは
他でもないわたしで、

たしかに癇癪はしんどかったけど、
じゃあ「ロボットのように
どんなに嫌なことがあっても、
にこにこ笑って、
または穏やかにいてほしいか」と考えたら
全然そんなことなかった。


我慢せず、表現できるって健やかなんだ。
本当はみんなそれでいいんだ。


そう思ったら
「イライラしないいい母親になろう」とか
「自分みたいになってほしくない」みたいな
偏った執着や
「わたしなんかが育てて、
この子たちは将来どうなってしまうんだろう」
みたいな不安が
だんだん薄れていったんだよね。 


心から自分を許せた瞬間だった。


そして、それは
「あんな環境だったから」
「母があのときああ言ったから」
「家族がバラバラになったから」
「あのときああだったから」
そんな過去を恨む気持ちさえ許して、

「これまでのすべての経験があってこその
今のわたしなんだ。
ぜんぶ、これでよかったんだ。」

ってわたしも、過去も、
すべてを許すことにつながった。


(もはや、許したら
それまでの「悲劇のヒロイン」すぎた
自分が猛烈に恥ずかしくなった🫣)

今では
過去は「ネタ」だと思えるくらいになったよ✌🏻


娘の癇癪が落ち着いてきたからといって
困りごとや悩みがなくなったわけでもないし、
「こりゃ、どうしたもんか‥?!」みたいな
出来事や悩みも、いっぱいある。
ブチ切れる日も、上手くいかない日も全然ある。

でも「きっと大丈夫!」って思える軸を手に入れた。

それは娘なしには手にできなかった。
もちろん夫も、息子も。
両親も、友達も、関わってくれる人みんな!


心から
「ありがとう、愛してる」を送ります。


だからね、

『本音を言えなかった子どもが
大人になって、癇癪持ちな子を育てたら』
そのままの自分を好きになって、
自分を信じて生きられるようになったよ💎

嘘みたいな、本当のはなし!♡

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