Nepalエベレスト街道を歩く Dingboche
10/12~10/14
1回目の高度順応を終え、シェルパの里Namcheを出発した。
ここから先はWi-Fiやコンセントの使用が有料となる。携帯の電波も入らないと思っていた方がいいとのこと。
また、この先は新鮮な物資が届きにくくなるため、ヤクステーキ(ネパールの名物?)やミルクを含む食料品は控えた方がいいとのこと。
Tea houseでは今までmilk teaをlarge size potで注文して3人で分けることが多かったが、ここから先はblack teaやlemon honey gingerを頼むように心がけた。
また、Namche辺りから私とMayuは胃腸の不調が始まり食べると30分以内に下してしまう…というような状態が続いた。
Mayuは私よりも状態が酷く食欲不振も。今思うとふたりとも高山病の症状だったのかもしれない。
Namcheを境に高山病のリスクが高まることをNimaから改めて伝えられた。
高山病の症候と、頭痛の出現の仕方にについて。
頭痛は前頭部や側頭部が痛む間は経過観察でも良いが痛みが徐々に後方へ移動し、後頭部が痛むようになると危険な状態であるため下山の判断をするとのことだった。
夜間、症状が現れた場合は遠慮なくNimaを起こすようにということと、その際はおぶって近くの病院まで行くかヘリを呼ぶからとのことで、Namche以降の宿では毎晩Nimaは自身の部屋番号を伝えてくれた。
予防として、身体を温めること(特に頭部を温めるようにニット帽をかぶること)、食欲不振でも十分に食事を摂ること(ニンニクスープがおすすめだとか)、飲水を忘れないことなどを薦められた。
私とMayuは念の為、Namcheからダイアモックス(高山病予防の薬)の服薬を開始した。Monicaは服薬をしないもののTea house休憩の度に、サット計で自身の酸素濃度を確認するようにしていた。
ここからより過酷な環境になっていくのか、と少し緊張しつつのトレック再開となった。
緊張とは裏腹に、ヒマラヤは雄大な景色を観せてくれた。
Namche以降のトレックを私の頭の中では大きく
・NamcheーDingboche
・DingbocheーCHO LA Pass
・CHO LA PassーGokyoーLukla
と分けて記憶しているが、
特に印象的だったのが、NamcheーDingbocheーCHO LA Passを越えるまでのトレックで私たちを魅了し、そして見守ってくれたAma Dablam(アマ・ダブラム)だった。
この美しい山の存在なしに、私はこの旅を語ることができない。
Ama Dablamは標高6,856mの山で、シェルパ語で「母の首飾り/母のロケット」という意味。
切り立った山肌と稜線が特徴的で、その形から娘を見守る母のようにも見えると言われている。
我らが山野井泰史氏も1992年(当時27歳)に西壁6,812mを冬季単独初登壁しており、小説“凍”にもその旨が記されている。
WebサイトにはAma Dablam登頂のツアーも掲載されているが一人あたり、おおよそ100万円かかると思っていた方が良さそう。
ちなみにネパール語とシェルパ語は異なるらしく、シェルパ語はどちらかというとチベット方言なのだとか。(シェルパ族はチベットからネパールへ移り住んだらしい)
2度目の高度順応を行なったDingbocheでは、目の前にAma Dablamを望む、“moonlight lodge”という宿に2泊した。
Tea houseの目の前にはAma Dablamと、Dingbocheの標高、4410が記されたcafeを発見。cafeは翌日いくことにしたので、夕飯を食べて少し団欒した後就寝。
2日目は午前中に高度順応のトレックをした後昼頃からは自由にできる時間があった。
Dingboche以降のトレックは、それまであまり感じなかった寒さを感じるようになっていった。
高度順応のこの日は、Ama Dablamを含む、Thamserku(6623)、Kantega(6685)、Island Peak(6189) 、Peak 38(7590)、Cholatse(6442)、Lobuche Peak(6119)など様々な山を望む3rd Flag(4800)というポイントまでトレック。
Nimaに教えてもらったり、自身で地図を確認しながら山を見た。
しかし沢山の山がありすぎて、地図を見るだけではなかなか判断が難しかった。
指差して教えてもらっても山を特定するのは難しい。
もしかすると、私が登山初心者で地図を読み慣れていないということや、英語の理解力が低いことが影響していたかもしれない。
下山時にNimaがAma Dablamをバックに写真を撮ってくれたが、指定してくるポーズが絶妙にダサい。
Ama Dablamを登る人がこのポーズをするなら100歩譲って許そう。何を目指して、この山を指さしているのか分からない…私が向かうのは真逆の方向である。
帰り道にヤクを発見。
高度順応を終えた私たちは昼食をとった後、この旅2度目の洗濯タイムや読書、音楽鑑賞、周囲の散策などを各々楽しんだ。
Mayuは周囲の写真を撮りに、私とMonicaはcafe4410へと向かった。
Monicaがいい味を出してくれるので写真を撮るのが本当に楽しかった。
店内は思いの外賑わっていた。この小さな街に、こんなに沢山の外国人トレッカーが集まっているのかと思うと気持ちが高まった。
レジ前にできている3mほどの行列に並び、Monicaはblack teaとchocolate brownieを、私はblack teaとcinnamon rollを購入した。
店内には何種類かのボードゲームが置いてあった。“UNO疲れ”していた私たちは隣に置いてあったジェンガを手に取り少しの間遊んだ。
店内にはアコースティックギターでアレンジされたBEE GEESの“How Deep Is Your Love ”が流れていた。
私はもともとこの曲が大好きで、この地で聴くBEE GEESがあまりにも心に沁みて何故だか涙が出た。
そのままの流れで、Monicaとイヤホンを分け合い、私が旅の間に聴いた曲を紹介した。
1. くるり - ハイウェイ (行きの飛行機の中にて、旅の始まりを思わせる)
2. Weezer - Island In The Sun (Katmanduを出発してからLuklaあたりまで)
3. BEE GEES - How Deep Is Your Love (Dingboche以降のトレックはずっとこの気分。もしくはBeatles)
Monicaも一緒に音楽に心を委ねてくれたため嬉しかった。
Monicaはその後、今の気分を忘れぬように、と筆を走らせる手が止まらなかった。
17時頃、私たちは夕食のために向かいのmoonlight lodgeへと戻った。
夕食を済ませて部屋に戻ると、2泊目の夜を迎えた私たちの部屋は、終始停電していた。
日中は晴れていたのに…ソーラー電気足りないのか…とも思ったが、トレック8日目を迎えるこの頃には、電気があってもなくてもそんなに気にならなくもなってきていた。
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