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「愛は偉大」
本、映画、アニメ、ドラマから「寂しさ」と「愛」の関係について考えさせられる機会が最近多かった。 というか多分一回考えた事ってずっと頭の中にあって、何かのタイミングで繋がるんやろうな、繋がるっていうか拾ってしまうの方がしっくりくるか。
本題(いつのまにかネタバレしてるかも #BANANAFISH #バケモノの子 #大豆田とわこと三人の元夫 #青くて痛くて脆い )
BANANAFISHを今日見終わった。観てる途中からバケモノの子を思い出した。愛を知って育ったひとと、そうでないひと。寂しさを埋めるにはやっぱり愛しかなくて。自分と同じ境遇で育った人が愛をもらってるところを見ると途轍もない嫉妬に襲われる。その部分が登場人物達で似てる気がした。
人は人を、間に合せに使う。
誰しもが、誰かを必要な何かとして間に合せに使う。
(一部割愛)
間に合せって、つまり、心の隙間を埋められたってことだ。
心の隙間に、必要としてもらえたってことだ。
アッシュ(BANANAFISH)の心の隙間をえいちゃんが埋めてくれたんやろうなあ、えいちゃんと居る時のアッシュはすごく優しくて幸せそうやったなあ、
「私もときどき、どうしようもなく苦しくなることがある。どうにでもなれって、何かが胸の中から噴き出してしまいそうになる。蓮くんだけじゃない。私だけじゃない。きっと、みんなそう。だから、大丈夫。だから・・・大丈夫」
BANANAFISHやバケモノの子にでてくる子は人より倍、寂しさや孤独を感じてるけど、でも多分みんな寂しい時がある。どうしようもなく寂しくなる時がある。その心の隙間を誰かに埋めてほしくなる時がある。それはおかしな事じゃなくて誰にでもある事。でも心の隙間は誰にでも埋められるものじゃない。だから間に合せに使われることは寂しい事なんかじゃない。
(寂しいことじゃないけど、相手からしたら嬉しいことじゃない。かもしれない。)
大人になってもそんな時があるってのは、大豆田とわこと三人の元夫を見て学んだこと。
結局何が言いたいかって、「愛は偉大」っていう言葉と「寂しさは愛でしか埋められない」って言葉はは誰が最初に言ったのか分からなくなるほど真実の言葉だって事。
今までシンプルで綺麗事に聞こえてきた言葉は、意外とその言葉の中に大きな意味を持ってる事に最近気づいてきてる。
勿論、バケモノの子やBANANAFISHを見て考えた事はもっとあるけど
最近の私が特にその中から拾い集めたのはこのようなことでした、、!