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【短編小説】自称高貴が問う

「随分揺れるんだな」
「船が揺れるのは当然では? 怖いのですか」
「……」
 
 感想を口にしただけで胆力の有無を測られたようだ。やはりこの船に乗っている者に紳士的な振る舞い――精神性を期待するのは間違っているらしい。彼らはきっとまともな人生を送ってはいないし、これからも送ることはないだろう。
 
 見ればわかる、などと宣えば、昨今の世情的にNGなのは明白だ。「人を見た目だけで判断するなんて、とんだレイシストだ。糞を煮詰めたような野郎だ」などと罵倒されるに違いない。しかし落ち着いてその暴力的で屈辱的で汚辱に塗れた言葉を一度飲み込んでほしい。飲み込むのが躊躇われるとしたら、それは君が言葉を汚しすぎたせいだろう。
 
 しかし飲み込めないのならば仕方がない。いやわかるとも。汚れが喉を通って胃腑から何から、僕を隅々まで汚染していくなんて……想像しただけで絶命してしまいそうだ。いくら僕の心が広く丈夫だからといっても限度がある。とても耐えられそうにない。わかった。飲み込めなんて無茶を言ったよ。すまなかった。
 
 ならばこうしよう。その医療廃棄物よりも取り扱いが厄介な有り難いお言葉の宛先を変えてしまおうじゃないか。そんな汚物を僕らのような汚れなき高貴な精神を持った者が処理しようとするから問題となるのであって、その辺に転がっている下位層の民に処理させてしまえば良いのだ。彼らなら喜んで食いつき、喜んで処理してくれるだろう。なんせ己の体と汚れの程度が同じなのだ。仲間意識すら持っているかもしれない。彼らの顔のパーツは既に判別できない程に汚れているのだから、我々にとって見目憚るような汚泥でさえ『この程度』で済ませてくれるさ。
 
 何の話かって、視点が変われば物事の価値も変わるのだという使い古された教訓を、実体験として踏襲しているところじゃないか。何を言っているんだい?
 まさか理解できていなかったのか?
 ……君は既にそちら側なのか。やめてくれ、話しかけてくれるなよ。クソ、何だっていうんだ。謀っていたのか。あぁなんということだ。神よ彼を、そして愚かな私を許し給え。あぁ、あぁ。僕は、僕も汚れてしまったのか?
 
 そんな筈はない。僕は僕が汚れるなんてあり得ない。僕が僕が汚れるなどなどどどとやめてくれ耳元で囁くのはやめてくれ僕は僕が綺麗で僕が。
 
 失敬。
 
 しかし、そういえば僕にとっても君にとっても無視をするには些かおさまりの悪い大切な要素の説明をしていなかったね。
 
 ここが随分と揺れる船の上なのはご存じの通り。もう一つ二つ状況の設定をするならば、僕は喫煙所の床なんかで体を横たえているし、僕に怖いのか? などとあらぬ疑いをかけた、きっとまともな人生を送っていないであろう彼は奴隷商人である。つまりこの船は奴隷船と呼ばれるやつで間違いはないし、その船に乗っていて、まともな扱いを受けていない僕が奴隷として売られるだけの存在であることは、貴君にとっても明白だろう。
 
 だから、先ほどから言っているのだ。
 視点が変われば、物事の価値が変わり、考えるべきこともかわるだろう。
 そしてもう一つ君に問いを送ろう。
 私はこの船を、無事に降りられるだろうか。


この作品は、ランダムに選出された3つの単語からイメージを膨らませたものです。

【喫煙所】【奴隷商人】【囁く】
ランダム単語ガチャ

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