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"ネガティブな自分”を許せないあなたへ。「夢ノートの贈りもの」が教えてくれたこと

ある芸能人女性のバッシングがけっこう長く続いていた。彼女の奔放な生き方が批判の的になっていたのである。そして私も、日課のようにテレビ欄で彼女の名前をチェックし、毎朝のめりこむようにして「これでもか」のレポートを見ていた。

奔放な芸能人女性、それは(シャドー)としての私なのだ。私は、やりたいことを躊躇せずにやれる自分になりたい。自由に生き生きと動きたい。彼女へのバッシングは、「あきらめた女たち」の怨念そのものなのである。
そしてもうひとつワイドショーに学んだことは、ネガティブな自分になることは本当にたやすい、ということ。言い方を換えれば、放っておけば人間はネガティブになってしまう生き物だ、という事実だ。
認められたい。ほめられたい。きれいになりたい。豊かになりたい。
年金の計算より、残り物の後始末より、胸ときめく華やかな「何か」をしてみたい。
「~したい自分」がわかりさえすれば、道は自ずと見えてくるものである。
『夢ノートの贈りもの』中山庸子著

私がエッセイストの中山庸子先生に出会ったのは、小学6年生の春のこと。

この頃からエッセイが大好きだった私の日課は、本屋さんに行くと真っ先に女性向けエッセイコーナーへ向かい、気になるタイトルを片っ端から見ていくことだった。

そこで見つけたのが、今では絶版となってしまっている中山先生の著書『夢ノートのつくりかた』である。

「夢ノート」。
この固有名詞は聞いたことがある方も多いのではないだろうか。

サッカー日本代表の本田圭佑選手がプロデュースした「夢を叶えるノート」が有名かもしれない。

まだ子どもだった私は、『夢ノートのつくりかた』に載っていた中山先生流の夢ノートが、とてもキラキラと眩しく見えて思いついた夢をどんどん書いていった。
「○○のスカートがほしい」といった身近なものから、「イギリスに行きたい」「運命の人と結婚したい」といった飛躍したものまでさまざま。
肝心の"叶ったか叶ってないか”は、当時の私にはあまり重要ではなかった気がする。

自分の願望にストッパーをかけず、自由に夢を描けるのは子どもの特権かもしれない。

"すべき”より"したい”を優先する難しさよ…!!

大人になるにつれ、私は夢を描くことを忘れてしまった。

もういい大人なんだから。
夢なんて持っても叶うわけがない。
怒られない程度に仕事して、不幸じゃない程度にプライベートを楽しめればいい。それが一番の幸せだ。

そう言い聞かせて、SNSを見ては自分よりずっと若い人が成功している姿に嫉妬する日々を送るほどに落ちてしまっていた。

なんて自分は嫌な人間なんだろう。
もっと、人にも自分にも優しくなりたい。

スマホを閉じてため息をついた頃、なんとなく本棚の整理を始めた。
きっと、無意識で何か現状を変えるようなヒントが見つかればという思いを抱いたのかもしれない。

そのとき、高校生の頃に買った『夢ノートの贈りもの』を数年ぶりに手に取った。
ああそうだ、この先生の本が大好きだったなぁ…。

懐かしい気持ちが蘇り、パラパラとページをめくっていたとき、手が止まった。

虚しさと哀しさにいても立ってもいられなくなった時、私はようやく「夢ノート」のことを思い出した。
(そうだった、どんな時だって必ず夢はあるはずだった)
そして私は「夢ノート」に新しい項目を書き加えながら、文章を書きたい自分、それを本にまとめたい自分が生まれはじめていたことに気がついた。
『夢ノートの贈りもの』中山庸子著

これ、私のことだ。

どうしようもない苛立ちと焦燥感のなか、私の奥底にはいつも「もう一度夢を追いかけたい」という願望があったことに気づいた。

夢中でページをめくり、カラーペンで線を引き、四隅に付箋を貼っていった。
「どんな時だって必ず夢はあるはず」。

読み終わった頃、私のなかに渦巻いていた真っ黒なモヤモヤは、夕立が去った空のように晴れていた。
この「夢ノートの贈りもの」は、中山先生が書かれた夢ノートシリーズの3作目だ。

夢ノートを書き続けたことで叶えられたこと、夢ノートの存在が、いかに落ち込んだときに前を向くエネルギーになったかということについて綴られている。
私と同じように、自由に夢を描くことができなくなってしまった人。
そして、自分で描いた夢に追い詰められ、すぐにネガティブが顔を出してしまう人にも。

そんなあなたの心を軽くしてくれるような言葉たちが詰まっているはずだ。

"夢との付き合い方”が分からない大人たち

「夢を紙に書いて言語化しよう」
「写真やイラストを使ってビジュアル化しよう」
「願いは完了形で書くと叶いやすい」

こんなTipsを、一度は耳にしたことがある方も多いと思う。

科学的に効率がいい、潜在意識に刷り込みやすい…いろんな理由があるのだろう。
ただ、おそらく「どう書くか」といった部分はあまり重要でない、と私は感じている。

最近の私の夢ノート📒恥ずかしいところはモザイク

夢を描くことを忘れてしまっていた私だが、たまにふと思い出して夢ノートを再開してみたこともある。
しかし、書いてみたはいいものの、ノートは机の中で冬眠。
年末の大掃除で読み返して、今年も理想の自分には1ミリも近づけなかったことを突きつけられて落ち込む…そんな流れを繰り返していた。
私は、"夢ノートとの付き合い方”を理解していなかったのだ。
書きっぱなしで放置してしまうのは、書いた夢を目標に落とし込む作業をするときに「やらなきゃ」という義務感に駆られてしまうからという理由が特に大きかった。

おそらく、真面目で完璧主義な方ほど、型通りに進めないとダメだと気負ってしまって続かないことが多いと思う。
中山先生の夢ノートは、「こう書くべき」といったTipsフェーズは出でこない。

自由に、つくることを楽しむ。
ここに重点を置かれているのだ。
文中には、中山先生がつくられている夢ノートの中身が、素敵なイラストで再現されている。

見るだけで、わくわくするようなもの。
それが本来あるべき夢ノートの意味だと思う。

ダメな部分も認めた上で、前向きな気持ちにさせてくれる

特別な人間にならなくても、完璧な人になれなくてもかまわない。「欠点こそチャームポイント」という言葉を、ここでもう一度思い出してみたい。
もちろんこれは、「あなたはもう何も変わらなくていいんだよ」、ということではない。

現状の、ありのままの自分を認めつつ、「もう少しこんなふうによくなりたい」「相手にとって意味のある存在になりたい」と願えるのが、幸せな向上心である。「夢ノート」は、その実現のために役立てるものなのだ。
『夢ノートの贈りもの』中山庸子著

飾らない人が好きだ。
落ち込みも嫉妬も、仕事でうまくいかないモヤモヤも、かっこ悪い部分を隠さずさらけ出している人に惹かれる。
中山先生は、ご自身のことを「無類のうらやましがり」と書かれていて、「人の幸せを喜べることは才能」と仰っている。

"心に響いた言葉”に、時を経て背中を押されることもある

夢ノートのようなものをつくろうとされる方は、向上心が強い方が多いと思うのだ。
だからこそ、夢を描いても周りと比べて落ち込んだり、嫉妬してしまったり、そしてそんなドロドロの感情を抱えている自分にまた落ち込んでしまう。
でも、マイナスな気持ちも否定せず、ふわっと心が軽くなるような言葉をくれている。
しかし、甘やかしではない、絶妙なバランス。
叶えたい夢があるけど、その夢に縛られてしまう。ネガティブな自分に落ち込む。

そんな方にぜひ、中山先生の文章を浴びてほしい。

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